第31話:来た

We Killed Our Sweetheart

 ――来た。
 二人が同時にそう確信したのは、決して何かを見たからではなかった。
 長年、自分たちの生きる世界で研ぎ澄まされてきた感覚が、この気味が悪いほどの静けさは、作りものだと告げていたのである。

 オリオンは、静かに窓の縁から外を覗いた。
 路肩に停められていた白い車は、いつの間にか姿を消している。代わりに、少し離れた斜め向かいの住宅の塀の陰に、見慣れない男が一人立っているのを見つけた。
 煙草を吸って休憩しているようにも見えるが、その煙草を吸う素振りも見せないまま、彼の視線だけがこの家を捉えている。
 それに、その男から僅かにはなれた場所に、二人分の人影。確かめなくてもわかる。こいつらは仲間だと。

「一人じゃないな」

 ジャックは窓を見ることなく、テーブルの上へ置かれた拳銃の弾倉を静かに差し込んだ。

「何人いる?」
「今見えているだけで三人だ」

 その言葉を聞いても、ジャックは驚かなかった。むしろ、苦笑しながら肩を竦める。

「見えてるヤツは囮だろうな」
「ああ」

 短い返事だったが、その意味は十分に伝わっていた。
 前回の連中とは違い、こちらの様子を窺い包囲し、逃げ道まで計算した上で動いていることを、二人とも痛いほど理解していた。
 だからこそ焦らないのであり、焦れば相手の思う壺だともわかっていた。今は家を捨てるべきでも無ければ、好戦的に姿を現すべきでもない。

 オリオンは、壁に掛けられた時計へ視線を向ける。マーサとリリィが避難を終えて、それからジャックが帰ってきてからは、まだ三十分も経っていない。
 この家へ敵を引きつけている間に、二人が逃げたあの家の中で、上手く身を隠してくれていれば、それでいいと考えていた。

 その考えを読んだかのように、ジャックが立ち上がる。

「時間稼ぎなら俺も得意だぞ!」
「知っている」

 オリオンは淡々と答え、机の上に置かれていた拳銃へ手を伸ばした。一度だけマガジンを引き下げて装弾を確認すると、再び押し込んでスライドを優しく指でなぞる。
 隣では、ジャックがナイフを一本また一本と腰へ差していき、その手つきはまるで絵の具のついた絵筆を選ぶようだった。

「派手にやるか?」

 楽しそうに笑うジャックへ、オリオンは視線も向けずに答える。

「リリィの家だ。……壊すな」
「無茶言うな! もうドアがぶっ壊れてるんだぞ?」

 そのやり取りが終わるのを待っていたかのように、玄関の呼び鈴が静かに鳴る。
 ピンポーン――という音は昨日と同じだったが、その意味はまるで違って聞こえた。
 二人は顔を見合わせ、どちらともなく小さく笑う。

「よっしゃ! パーティータイムだ!」
「……いや、ああ」

 その瞬間、家を囲んでいた静寂が、音を立てて崩れ始めた。呼び鈴が二度鳴ることはなく、代わりに家の裏手から微かな物音が響く。
 続いて、屋根の上からも気配が伝わり、さらに二階の窓付近でも異変が起きる。
 その異変はひとつではなく複数であり、わざと玄関へ意識を向けさせ、その隙に別方向から侵入する実に手慣れた動きだった。

 ジャックは苦笑する。

「結構礼儀正しいよな。玄関担当まで用意してくれるとは」
「ただの時間稼ぎだ」

 オリオンは短く答えると、拳銃を両手で握り玄関から一歩離れた。直後、ガラスの割れる音が家中へ響き、その音の主が、二階であることは明らかで、二人の視線が一度に階へと向く。
 同時に、裏口のドアノブが静かに回され、鍵は掛かっているにもかかわらず相手の迷う気配はない。ただの家の鍵、数秒で解錠してしまう。

「速いな」

 ジャックが呟き、その声には感心すら混じっていた。
 音を最小限に抑え、侵入経路を分散させ、それぞれが役割を理解したまま動いている。明らかに、訓練された集団だった。
 オリオンは二階を見上げると、天井越しに伝わる微かな振動だけで、おおよその人数と位置を頭の中へ描いていく。

 不意に視線を感じ、身体を僅かにずらす。……そんな時、乾いた破裂音が外から響いた。
 窓ガラスが砕け散り、銃弾はオリオンが立っていた場所を正確に撃ち抜いて、壁へ深い穴を穿った。
 ほんの一秒反応が遅れていれば、彼は額を貫かれていただろう。

「何だ、俺たちが歓迎されてんのか? どっちが主催だよ」
「伏せろ」

 オリオンが言うより早く、ジャックは既に床へ身を沈めていた。もう次の銃弾が飛び、今度は照明が砕け、部屋がちかちかとした明かりを放ち、すぐに暗くなる。
 そのほんの少しの隙を狙い、裏口が静かに開いた。
 黒い装備に身を包んだ男が、音もなく踏み込んでくる。そして、足音ひとつ立てないまま、彼の構える銃口だけが真っ直ぐジャックへ向けられていた。

 ――だが、その瞬間ジャックは笑った。

「やっと一人目だ」

 男が引き金へ指を掛け、オリオンも拳銃を構える。そして、家の中で二人の放つ最初の一発が響いた。

 聞き覚えのある破裂音とほぼ同時に、裏口から侵入した男の身体が大きく仰け反る。オリオンが放った銃弾は、防弾ベストに覆われていない首筋を、正確に撃ち抜いていた。
 男は声を上げる暇もなく床へ崩れ落ちる。

「外したな」
「今日は拘りなしだろ!」

 納得のいかないオリオンを尻目に、倒れた男を飛び越えるように、二人目が一気に室内へ飛び込んでくる。
 その動きに無駄はなく、仲間が倒れることすら最初から計算に入れていたかのようだった。

 ジャックは、銃口が自分へ向くより早く横へ転がり、床を蹴って一気に距離を詰める。

 二人目の男は、迷うことなく引き金を引いた。
 銃弾がジャックの頬を掠め、背後の棚へ突き刺さる。陶器が砕け散り、破片が部屋中へ飛び散った。

「惜しい」

 オリオンがぽつりと言う。

「あんた俺の味方だろ!?」

 そのやりとりを見ても、男の表情は変わらない。恐怖も焦りもなく、淡々と次弾を装填しようとする。
 そこへ、オリオンが再び照準を合わせた。だが、その瞬間、二階から新たな銃声が響いた。その音の主の弾は、怪談の上から発射され、オリオンの足元を掠める。
 まるで、牽制のような一発。
 その一瞬の隙を逃さず、二人目が体勢を立て直す。

「早いな」

 ジャックが距離を取りながら呟く。
 前回のふたりは、統率が撮れていなかった。その前は一人だった。それを踏まえると、今回の相手は全く違う。
 オリオンは小さく舌打ちした。明らかに、イライラしている。彼が考えるよりも、敵の実力は予想以上だった。
 このままでは時間を稼ぐどころか、こちらが家へ釘付けにされる。そして、それこそが相手の狙いなのだと悟った時、不意に胸騒ぎがした。

 ――陽動。

 その考えが頭をよぎった瞬間、オリオンは鋭く顔を上げた。

「ジャック!」

 その一声だけで、ジャックも異変を察する。二人は同時に、同じ結論へ辿り着いていた。

 ……リリィの家で交戦が続くころ、マーサとリリィはあの避難した家の中で時間を潰していた。
 古くから空き家になっていた建物らしく、家具は最低限しかないが、水道も電気も通っている。オリオンが何年も前から、緊急時の隠れ家として使っていた場所だった。
 マーサは窓際へ立ち、外を眺める。ここは静かな場所だった。

「退屈だねぇ」

 そう呟くと、床に寝転がっていたリリィが身体を起こす。

「もうかえれないの?」
「まだだろうねぇ」
「いつまで?」
「さぁね」

 マーサは苦笑した。そんなこと、自分にもわからない。だから、適当に誤魔化すしかなかった。
 リリィは不服そうに、口を尖らせながら窓の外を見る。

「心配かい?」

 不意に尋ねられ、リリィは少しだけ考える。そして、小さく頷いた。


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