第2話:七歳の誕生日

We Killed Our Sweetheart

 目が覚めた瞬間、少女は今日が何の日だったかを思い出した。
 自分の誕生日だ。今日で、七歳になる。
 その事実を思い出しただけで、彼女は少しだけ胸が弾み、薄汚れた毛布を跳ね除けるようにして起き上がった。

 窓の外はまだ薄暗い。
 朝と呼ぶには少し早い時間だったが、こんな楽しいはずの日に、いつまでも眠ってなどいられなかった。

 去年も、同じことを思った。
 一昨年も思った。
 もしかしたら、その前も。

 目を覚ましたら、何か変わっているかもしれないと期待して、結局、何も変わらないまま一日が終わるのだ。
 彼女の望むものは、いつもなかった。それでも、期待してしまうのは仕方がなかった。

 ……だって誕生日なのだから。

 少女は裸足のまま部屋を出る。一階に降りると、廊下に空き缶が転がっていた。きっと、昨夜のものだろう。
 蹴飛ばさないように跨ぎ、急ぎ足でリビングへ向かう。

 ソファでは母親が眠っていた。

 テレビは点けっぱなし、テーブルの上には、食べかけのピザの箱と空の酒瓶が並んでいる。
 少女は、少しだけ立ち止まった。

 母親を起こそうか迷ったのだ。
 今日は誕生日だから。自分の、誕生日だから。

 けれど、母親は眠っている。とても気持ち良さそうに。少女は小さく笑うと、そのまま毛布を肩まで掛け直した。

「おはよう」

 小さな声でそう呟いてみたが、返事はなかった。
 それでも少女は気にしない。まだ朝早いからだ。きっと、この後起きたら言ってくれる。

 「おめでとう」と。

 そう思いながら、少女は冷蔵庫へ向かった。
 冷蔵庫の扉を開けると、ひんやりとした空気が少女の頬を撫でた。
 中には牛乳が少しと、飲みかけのジュース、それから調味料がいくつか入っているだけで、誕生日らしいものは何ひとつ見当たらない。

 当たり前だった。
 母親も父親も、今日が少女の誕生日だなんて覚えていない。
 よって、ケーキが入っているはずもないのだ。

 それでも少女は、冷蔵庫の奥まで覗き込んだ。そして、隅々まで目を凝らし、移動できるものはどかしてその後ろも確認する。
 もしかしたら、あるかもしれない。
 もしかしたら、昨日買ってきてくれたのかもしれない。
 そんな期待を捨てきれなかったからだ。
 けれど、やはり何もなかった。

「そっか」

 少しだけ残念だった、ほんの少しだけ。
 少女は冷蔵庫を閉め、その足で今度は棚を開いた。

 ぐしゃぐしゃの袋に、いつが賞味期限なのかもわからない、食パンが入っていた。
 少女は一枚取り出した。幸い、カビは生えていないようだ。

 それからジャムを見つける。イチゴジャムだった。瓶の底に、赤色が少しだけ残っている。
 さらに探してみると、ピーナッツバターも見つかった。こちらも残りは少ない。

 少女は、食パンとジャムを抱えたまま考え込んだ。

 ケーキはない、が、今日は誕生日だから。何もないのは嫌だった。

 もう一度パンを見る。これが、丸くて、クリームがついていて、ろうそくもあったら。
 もしかしたら、ケーキに見えるかもしれない。

 少女の顔が少しだけ明るくなった。

「できるかも」

 誰に聞かせるでもなく呟く。
 そして少女は、食パンを持って椅子へ駆け戻った。何だか楽しくなってきたのだ。

 食パンを一枚取り出し、少女はしばらく考え込んだ。

 ケーキなんて作ったことはないし、作り方を教えてもらったこともない。
 ケーキが、お店に並んでいるのも見たことはある。それに、誕生日のケーキは大きかった。
 テレビで見た時は、何かが重なってできているように見えたし、食パンだって、重ねたり大きくくすれば、ケーキになるかもしれない。

 少女はそう考えた。

 まずはパンをちぎり、小さく丸めてみた。
 小さくなったパンは、少女の小さな手のひらの上で、ボロボロと崩れていった。

「あれ?」

 少女は不思議そうな顔をして、またパンをちぎり丸め始めた。
 今度は、先ほどよりも強めに。
 何とか形はできたが、潰れてしまった。

 悲惨な結果に、少女は眉を下げる。

 むずかしい。
 つまり、ケーキやさんはすごい。

 そんなことを考えながら、もう一度だけ挑戦する。
 ちぎって固めるのがダメなら、大きい形をそのまま使って、ぎゅっと潰すのはどうか。足りない部分は、ちょっと潰してくっつければいい。
 三回目は、少しだけ上手くいった。本当に、少しだけ。でも、少なくとも、今までよりは。

「できた」

 少女は嬉しくなって笑った。
 まだ土台だけだったが、それでも十分だった。

 少女はジャムの瓶を開け、スプーン一杯すくう。
 思ったより少なかったが、少女は不安には思わなかった。一杯でこれだけならば、底にあるだけすべて使えば良い、と。
 それに、ピーナッツバターもある。
 一緒に塗れば、もっとケーキらしくなるはずだ。

 少女は夢中になっていた。服の袖にジャムが付いていることにも気付かない。
 思わず、鼻歌が零れそうになる。けれど、途中で止めた。機嫌は良かったが、まだ完成していないからだ。

 完成したら歌うし、ろうそくも立てる。それから、ママとパパに見せる。

 きっと驚く。
 もしかしたら、褒めてくれるかもしれない。

「がんばらなきゃ!」

 少女はそう信じていた。

 ――こうして完成したケーキを前にして、少女は満足そうに頷いた。
 少し歪で、ケーキ屋さんに並ぶものとは全然違ったけれど、誰にも手伝ってもらわず、自分でで作ったのだから、これは特別だった。

 少女はそっと椅子へ腰掛け、目の前のパンのケーキとイチゴジャム、それにピーナッツバターを見つめる。
 やっぱり傾いているけれど、それも悪くない気がしたし、お腹は空いていて朝からほとんど何も食べていなかったから、今すぐ食べてしまいたい気持ちもあった。

 しかし、少女は首を横に振り、まだだ、まだ食べないと自分に言い聞かせる。
 ママとパパに見せて、それから一緒に食べると決めていたのだ。これは、譲れなかった。

 少女は椅子から降りると洗面所へ向かい、鏡を見る。
 髪が少し跳ねていたので指で押さえるが、うまく直らない。しかめっ面でもう一度やると、今度は少しだけ綺麗になった。

「よし」

 小さく頷き、顔にジャムも付いていないし、服は少し汚れたが、拭いたから大丈夫だと確認する。
 これならきっと怒られないし、あわよくば褒めてもらえるかもしれないと思って、少女は少しだけ笑った。

 その時、玄関のほうから音がして、気になって少女が見に行くと、少し遠くに母親の姿が見えた。
 慌ててリビングのソファへ向かうが、確かに母親の姿はなくなっていた。

「……なんで?」

 今日は、私の誕生日なのに。父は仕事だと思った。母は休みだと思った。違った、母も仕事だった。

 そして、再び時計を見ると、まだ昼だった。
 仕事に行ってしまった母が、帰ってくるにはまだ随分と早いので、仕方なく少女は待つことにする。

 何気なくまた窓の外を見ると、車が通り、犬を散歩している人がいて、自転車に乗った男の子が走っていく。
 もう、父も母も家にはいない。が、少女は気にしなかった。
 その理由は、まだ昼だからであり、きっと夕方には二人とも帰ってくると思いながら、もう一度ケーキを見る。

 さっきよりも少しだけ崩れていたので、少女は慌てて形を整えた。

 帰ってきた時に見せるのだから、当然綺麗なほうがいいし、何より、誕生日なのだから。今日はきっと特別な日になるはずなのだから。

 そうして、夕方になるころには、部屋の中へ差し込んでいた陽射しも、少しずつ傾き始めていた。
 少女は、何度目かも分からないくらい時計を見上げてから窓の外へ目を向け、通りを行き交う車や人影を眺めていたが、その度に期待した姿を見つけることはできず、悲しそうに小さく息を吐く。


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