沈黙して、もう一度見る。さらに沈黙。そして。
「オリオン」
「……」
ジャックに名を呼ばれ、オリオンは無愛想に新聞を下ろし、マーサがそれみたものかと腹を抱えて笑う。
「ジャック!」
「何だよ!」
「アンタ、苦手なものは、ちゃんと苦手って言いな!」
リリィは不満そうだった。
だが結局、一番頼っている相手が誰なのかは、本人もまだはっきりとはわかっていなかった。
――が、その週末、マーサの提案で四人は外食することになった。「たまには人の作った飯も食べたいからね」と言ったのはマーサで、ジャックは即賛成し、リリィは大喜びし、オリオンだけがめんどくさそうに渋い顔をしていた。
「家で食えばいい」
「じゃあご飯を作っておくれよ」
「いいだろう」
「嘘だあたしが悪かったよ! たまには気分転換がしたいんだ! 付き合っておくれよ!」
オリオンの回答にマーサが即座に切り返し「毎日作るのも大変なんだよ」と言われて反論できず、結果として四人は街外れのダイナーへ来ていた。
夕方の店内はほどよく賑わっており、ハンバーガーやフライドポテトやシェイクといった、子供の好きそうな匂いが充満していて、リリィはメニューを見ながら目を輝かせていた。
「これ!」
「やっぱこれ!」
「待ってこれも!」
場に挙がるのは、すべてリリィの声だった。
決まらないまま時間だけが過ぎ、ジャックは楽しそうに「全部頼むか」と言い、オリオンが即座に「やめろ」と返すと、マーサが笑いながら「アンタは本当に極端だねぇ」と言った。
ようやく注文が終わり、四人は席で待つことになったが、リリィは窓の外を見たりストローで遊んだりして落ち着きがなく、その様子をオリオンは何度も見ていた。
「座ってろ」
「はーい」
しかし、五秒も経たないうちに、また立ち上がろうとする。
「座れ」
「はーい」
それからまた、五秒もしないうちに立ち上がる。
二人のやり取りにジャックが笑いを堪えていると、オリオンが睨みながら「お前も言え」と言い、ジャックは「子供なんてそんなもんだろ」と、まったく役に立たない返事をした。
そこへ料理が運ばれてきて、リリィが歓声を上げると店員もつられて笑い、「可愛いですね」と言われてリリィは得意げな顔をし、ジャックもなぜか得意げだった。
店員は料理を並べながら「今日は家族でお出かけなの?」と尋ね、その瞬間――ほんの一瞬ではあったが――確実に空気が止まり、リリィが瞬きをし、ジャックも固まり、オリオンは水のコップを持ったまま動かず、マーサだけが面白そうだった。
「そう見えるかい?」
ジャックが聞くと店員は笑顔で頷き「とても」と答えた。
沈黙が流れ、リリィが首を傾げて「かぞくじゃないの?」と聞くと、そこからさらに沈黙が続き、マーサがリリィを撫でるとジャックは天井を見て、オリオンは水を一口飲み、結局誰も答えなかった。が、店員は不思議そうな顔をしながらも去っていった。
リリィはまだ納得しておらず「ちがうの?」と聞き、マーサは笑いながら「さぁねぇ」とだけ答え、オリオンもジャックも黙っていたが、その言葉自体の否定はしなかった。
やがて最後の料理が運ばれてきて、追加でハンバーガーとポテト、シェイクにサラダとパンケーキが並び、テーブルの上はあっという間に賑やかになった。
リリィは大喜びである。
「いただきます!」
元気な声が響き、ジャックも機嫌よくハンバーガーを頬張り、マーサは真顔でサラダをつつきながら、オリオンだけが相変わらず無愛想にパンケーキを切っていた。
……だが、その時だった。
店内のテレビから、ニュースキャスターの声が流れる。
『続いてのニュースです』
誰も気にしていなかった、最初は。
『先月発生した、眼孔狙撃事件について――』
オリオンの手が止まる、本当に一瞬だけで、ジャックが吹き出しそうになるが、必死に堪えた。
リリィはテレビを見る。
「がんこう?」
「目だ」
オリオンが答える。
「へぇ」
興味はそこまで続かなかったが、テレビでは続いている。
『現在も、犯人の行方はわかっておらず――』
オリオンは黙ってコーヒーを飲み、何事もなかったように振る舞い、マーサは気付いていたからこそ、表情を崩さないよう必死だった。
「こわいね」
リリィが言う。
「そうだな」
オリオンは平然としていた。
ニュースはさらに続く。
『続いて、通称アート殺人事件――』
「アートさつじん? しんでるのおおい!」
ジャックが盛大にむせて、コーラが気管に入ったらしい。
「ぶっ――!」
オリオンが目を閉じ、マーサは無表情のまま肩をわずかに震わせる。
「まぁ、なんだ。大丈夫かい?」
マーサが聞く。
「だ、大丈夫……」
そう言ってみるも、まったく大丈夫そうではなかった。
様子の可笑しい大人たちを見て、リリィは首を傾げる。
『アート殺人事件と呼ばれるだけあり、現場には極めて芸術性の高い演出が――』
「へんななまえ」
リリィが言う。
オリオンが横を見るが、ジャックは見ない、絶対にオリオンを見ない。見たら終わる、そう思っていた。
まだニュースは続く。
『犯人には、強い自己顕示欲があるものと――』
マーサは息を整え、表情を崩さないようにした。
「マーサ」
オリオンが低く言う。
「……何でもないよ」
声は平静だった。
リリィだけが状況を理解していなかった。
「なにがおもしろいの?」
「何でもないさ」
マーサは真顔のまま言う。
テレビの向こうでは、真面目な討論が続いているが、テーブルの四人だけは少しだけ違う世界にいた。
こうして食事を終えるころには、すっかり日も落ちていた。
リリィは満足そうだった。お腹はいっぱいで、沢山欲しかった物を買ってもらえた、みんなでお話もした。
その結果。
帰りの車へ乗り込んで、十分後にはもう眠っていた。
後部座席で、新しく買ってもらったぬいぐるみを、ぎゅっと抱き締めたまま。小さな寝息を立てている。
「寝たな」
ジャックが運転席から覗き込む。オリオンもバックミラーを確認した。
「あぁ、寝たな」
チラチラと、二人のその視線は何度もリリィへ送られている。リリィの隣で、マーサが呆れた顔をした。
「アンタら何回確認するんだよ」
「起きるかもしれないだろ」
ジャックが言う。
「起きたらどうするっていうんだい」
「プリンセスの次の欲しい物をって、食べたいものを食べる」
真顔だった。
「親バカ通り越してまるでストーカーだね」
「まぁ否定はしない」
ジャックは即答した。
「なぁ?」
道連れのような問いかけに、オリオンが顔をしかめる。
「一緒にするな」
「そうかい?」
マーサが笑う。
「さっきから、一番後ろ見てるのアンタだったけどね」
沈黙が走る。オリオンは何も言わなかった。
言い返さない。……つまり図星だった。
「オリオン」
「何だ」
「あんた、図星だろ」
「黙れ」
リリィは何も知らない。スヤスヤと、幸せそうに眠ったままだ。
安心しきった寝顔に、無防備な姿。 少し前まで怯えていた子供とは、到底思えなかった。
「変わったねぇ」
誰に向けた言葉でもない。
ジャックもオリオンも、マーサの言葉には何も答えなかった。だが、二人とも同じことを思っていた。
車はゆっくりと家の前へ停まり、後部座席で、リリィはまだ眠っていた。
ジャックが、後部座席のドアを開ける。
「プリンセス! 家に着いたぜ!」
控えめに声を掛けるが、リリィからの返事はない。
「リリィ」
もう一度呼ぶが返事はない。ジャックはオリオンを見る。
「寝てるな」
「見ればわかる」
オリオンが呆れたように言い、マーサが笑いながら言った。
「抱っこしてやりな」
ジャックは少し考え、そして眠ったままのリリィをそっと抱き上げる。リリィは少しだけ身じろぎしたが起きず、安心しきったようにジャックの肩へ頭を預けている。
家の灯りが暖かく出迎えると、マーサが玄関を開け、オリオンが周囲を確認した。いつもの癖だったが誰もいなく、異常もなく静かな夜だった、そう思った。
――そのころ、少し離れた場所で、街灯の光も届かない道路脇に一台の車が停まっていた。
エンジンは切られていて車内も暗いが、そこには人がいた。
男は双眼鏡を下ろし、助手席へ置かれた写真を見る。
少女、金髪、笑顔、首元には鍵。
何枚もあり、ダイナーにいたっては、今日撮られたものだった。
「間違いない」
男が呟き、隣の男が頷く。
「報告しますか」
沈黙が数秒続き、男は再び家を見る。玄関、窓、灯り、そして抱きかかえられた少女。
「報告しろ」
低い声だった。
「会いたかったよダーリン」
男はそう言って、にやりと笑った。