別の人が声をかけてきた。この人はスーツだ。制服じゃない。年齢は、私より上に見える。四十代だろうか、穏やかな表情だが、眼光が鋭い。思わず、ゴクリと唾を飲んだ。何も悪いことはしていないけれど、さっきの警官よりも緊張する。
「もう少し、彼氏さんのこと、お聞きしても?」
「はい」
なんとなく、ここからが「本番」に思えた。だって、ドラマでもこんなふうに話が進んでいくから。
「彼氏さんとケンカしたとき、どんな理由でケンカになったんですか?」
「え、っと……明日の予定で少し言い合いになって……。でも、エスカレートしたのは私の香水のことですね」
「香水?」
「はい」
もう、私についているニオイは、消えてしまっているだろう。つけてから何時間も経っているし、人混みにも行っているから。
「今日、デートの途中で香水を変えたんです。私の好きな香水なんですけど、彼、それが気に入らなかったみたいで」
「それは、どんな香水ですか? ブランドとか、品名とか」
私は聞かれたまま答えた。ブランド名、思い出せる商品名、香水瓶の形と色、謡う香り。そして、テーブルの上にその香水瓶が置いてあること、外へはアトマイザーに入れて持ち出したこと、実は彼へも同じ香水のメンズ版を、サプライズでプレゼントしようと思っていたことを話した。
「あぁ、あの瓶ですか。……実は、気になることがありまして」
「何でしょう?」
思わず身構える。こういう聞き方は、つい、何かあると感じてしまう。
「亡くなった女性も、同じ香水を持っていました。瓶の色や形は同じでしたが、少し小さいものですね。それにその、言いづらいんですが」
そう言って、スーツの警官は、耳の下をポリポリと掻いた。
「はい?」
よくわからなくて、変な声だけ出る。
「服が、その、あなたとまったく同じなんですね」
「あ、はい。それは気付いていました。だから、女性かなと思ったし、さっきそちらの方から聞いて、多分私のストーカーかと」
「ストーカー……それは、大変でしたね」
労わられたことが、単純に嬉しかった。こんな状態だが、もっと早くに相談すればよかったと、今さらながら後悔する。
「それなら、もしかして」
「何か、わかりましたか?」
これは、完全に好奇心だ。私はある意味被害者だし、このよくわからない事件について、知る権利はあるだろう。ストーカーだろうとこも、まだ推測でしかない。だから、なぜ彼女がここにいたのかも、私と同じ格好をしていたのかも、殺されてしまったのかも私は知りたかった。でなければ、安心して眠れない。
「……あの、今日はホテルへ泊まっていただけますか?」
「それは、大丈夫ですけど……」
「中は酷いですからね。できれば、しばらくはホテルで過ごしてください」
「……わかりました」
確かに「この家に帰ってください」と言われても、帰るのは躊躇われてしまう。あんな、血塗れで荒らされた、殺人現場に。
「よければ、こちらで手配しましょう。時間も遅いですから、今から探すのも大変でしょうし」
「助かります」
「では、こちらへ」
私は、生まれて初めて、パトカーへ乗った。何だか、外からの視線が気になる。見られているような気がして。実際は、誰も気にしていないだろうのに。
「ひとつ、お願いがあるのですが」
「え?」
「彼氏さんに、あなたのスマホから、連絡を入れていただけませんか?」
――ふと、空気が変わった気がした。なぜか、この警官の言いたいことが手に取るようにわかる。それは同時に、とても悲しい結末を物語っている気がして、胸が騒いだ。
「つまり、その、それって」
「まだ、はっきりとは言えません。ですが、ご協力いただけたら、きっと」
「……わかりました。そういうことなら」
私はスマホを受け取り、大地へのメッセージを考える。正直、何も浮かばない。タイミング的に「お昼はごめんね」とか「私が悪かった」のような、謝罪のメールが適切だろうとは思っている。だが、今それを送る気にはなれなかった。
「ゆっくりで構いません。私たちが考えてもいいんですが、高峯さんが考えたほうが、自然な文面になるでしょうし。多分、らしさ、が出せないんですよね」
「私らしさ、ですか……」
聞けば聞くほど、悲しくなる。だって、まるでこれでは「大地が犯人」と、言っているみたいではないか。
「……あぁ、ごめんなさい。彼氏さんが犯人、と決まっているわけではないんですよ」
私の心を言い当てられたようで、どきりと胸が痛む。
「ただ、犯人は、ストーカーをあなたと勘違いして、殺した可能性があります」
「え、私とですか?」
そんなこと、考えてみなかった。……どうして他人が、私の家で死んでいるのだろう。そこまでで、私の思考は止まっていたのに。急に「私が殺されていた可能性」を提示されて、痛む胸がさらに苦しくなった。
「はい。あなたが家に入ったとき、現場は暗かったとお聞きしています」
「そう、ですね。暗かったけど、怖くて電気がつけられなくて……。見えていた、スマホの明かりを頼りにリビングへ」
「そうなると、事件が起こったときも、電気は切られていた可能性があります。現場を荒らすような人が、わざわざ電気を消して出ていくとも思えませんし」
「確かに……」
なるほどな、と、納得した。あの状態で、もし私が犯人だったとしたら。怖くなって、そのまま逃げ出すだろう。電気にまでは気を配れない。
「荒らしているのも、物取りにしては妙にきれいなんですよね。元から、どこに何があるのか知っていて、まるで必要なものだけ、持ち出したようにも見えます。荒らすのはついでで、目的は他にあったかと」
「はぁ……」
これが推理か、と感心した。感心している場合じゃないかもしれないが、これくらい許してほしい。意識を他に向けないと、得体の知れない恐怖が、不安が、遠慮なく襲いかかってくるから。
「被害者は、あなたと見た目が似ています。服装も同じで、ニオイも同じ。つまり、ストーカーかつ、あなたを模倣していた可能性があります」
「模倣、って」
「あなたになりたかった。私も、SNSを見ました。同じような投稿……いえ、行き先や写真の中身については、まったく同じではないですか?」
「それは……」
そうだ。これだけの短時間で、そこまでわかるのかと驚いた。同時に、悪いことはできないな、と思う。する予定はないけれど。
「身分証があったので、身元も判明していますので、後で確認をお願いしますね」
「……はい」
話しているうちに、手配してくれたホテルへ着いた。パトカーで送られるのは、妙な感じだ。
「彼氏さんへ連絡を入れたら、こちらの番号かアドレスへ、連絡してください。送った内容と、時間もお願いします」
「わかりました」
「あ、ちなみに」
「なんでしょう?」
「彼氏さんは、あなたのSNSを、見ていますか?」
見ていません――と、即答できなかった。今までなら、即答できたのに。思わず、警官の顔を見る。
「わっ……私のSNSは……見ていない、と思います。で、でも……」
「高峯さんも、そう思いますか?」
「……」
もう嫌だ。わかってしまった。嫌なのに。どうして。
「……そろそろ行きましょう。フロントまで、ついていきますよ」
「ありがとうございます……」
そこからの記憶は、あまりない。フロントで喋って、言われるままおそらく移動して、気が付いたら、私はホテルの部屋にいた。
私の手には、私のスマホ。返してもらえた。
「大地に……送る……? メッセージを……?」
警官と話す前だったら、気軽に送れたと思う。あの人の第一発見者にならなかったら、何も問題なかったはずだ。私は見つけてしまった。自分の部屋で、まるで自分が殺されてしまった場面を。