「そういや、店の名前聞くの忘れたな」
ふと、祐輔からやつの働く店の名前を聞きそびれたことに気が付いた。そんな余裕はなかったし、どっちでもよかった。
「三階のレストランだったよな」
俺は思いついて、そのまま三階へと上がった。
混み始める時間なのか、外には列ができている店もあった。
「流石にわからない、か」
また、ぶらぶらと歩く。
「ん?」
そこで、一角に人だかりができている店があった。
「なんだ、あれ」
気になって覗いてみると、鏡張りの向こうで、炎が起こっていた。肉を焼いているらしい。良い匂いがする。
「へぇ、面白いじゃん」
感心してみていると、中で調理している男性と目が合った。
「あ」
祐輔だ。やつも俺に気付いたようで、こっちを見てニッコリ笑った。俺は軽く手を振って、そそくさとその場を離れた。
「肉、か」
今は、食べる気になれない。思い出す情景が、リアルすぎるのだ。肉も、血も、皮も、骨も、臓器も。それは、人間も牛も同じ気がする。
「ただちょっと、立場が違うだけ、だよなぁ」
人間は人間の敵意をかうし、恨まれもする。牛も、同じようにそう言う感情を、同族に持つのだろうか。殺人をする人間はいるが、殺牛をする牛は、存在するのだろうか。牛は、捕まるのだろうか。死刑はない気がする。いや、でも、処分される可能性はありそうだ。
「……どうでもいいな」
わかったような、わからないようなことを考えながら、俺はフードコートで休憩をとることに決めた。
まだ、まばらに空いている席たち。給水所で水を汲んで、選んだ席に荷物を置く。拘りはないが、今日は外が見える席を選んだ。
「良い天気」
風が強いのか、雲の流れは速かった。青に刺さる白。悪くない。
席のすぐ近く、パン屋でいくつかパンを買い、俺は席でそれを頬張った。携帯食には、手を付けない。必要なのは、今じゃないと思う。そのときはもっと後な気がしている。
ひとつ目のパンを食べ終えて、俺は横に置いていたスマホの画面を見た。
「連絡なんか、来なくていいから」
俺は、溜息混じりにそう呟いた。小さな声だから、誰も気が付いていないと思う。
「あー、これからどうしよ」
逃げるとしても、あてはない。それに、いつまで逃げれば良いのかも、俺にはわからない。
逃亡者の烙印を、自分で自分に押したから、俺はその烙印に沿って、ただ義務的に逃げているだけだ。
「……いや、これ、逃げてんのか? ただの休日と、今んとこ変わらない気が」
深く考えたら、負けな気がしてきた。とにかく、今は今後のことを、ひとつでも多く考えよう。
ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
「うっ」
反射的に、変な声が出てしまった。
「やっぱ、すぐにサイレントにすべきだった」
サイレントにしよう、と思って、忘れていた。しかも、今の俺の目に映る、その通知の相手は――紗季。
ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
両手でスマホを握ってみたが、差出人が、変わることはなかった。当然だ。
ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
くだらないことを考えている間も、紗季から何かが届いている。しかし、その多くが『メッセージを取り消しました。』に変わっていった。
「『今どこですか』と『会いませんか』は、見えたな。敬語だし、紗季なら怒ってる。紗季以外なら?」
ここでようやく、俺は紗季以外の選択肢を選んでみようと思った。まず、警察官。連絡先が登録してある相手に、片っ端から連絡している。
「それなら、別に警察って名乗ればいいよな?」
次に、紗季の家族。俺が何か知らないかと思って、連絡してきている。
「いや、聞き方がおかしいよな。家族です、って入れればいいし」
他にあるとして、友人はどうだろうか。
「それも同じかぁ」
行動力のある友人なら、自分のスマホから、連絡してくる可能性だってある。
「……てことは、やっぱり……」
ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
この相手は、紗季になる。
何度も取り消されたメッセージを、なぜか俺は愛しいと感じ始めていた。同時に、これをいたずらでやる人間がいたら、相手を非難したいとも思った。
「これ、一回も返してないけど、返したらどうなるんだ?」
俺は、当たり前の疑問に落ち着いた。まだ一度も、返信はしていない。メッセージを開いたから、相手側に既読通知はいっている。
予定を聞いて、返事がなくても諦めず、迎えに行くと言うあたり、やっぱり紗季っぽい。自分の思い通りにいかないと、強硬手段に出るのだ。
だが「お前は紗季か?」と聞くには勇気がいる。
ここまで連絡が来ると「あのときまだ、紗季は死んでいなかったんじゃないか?」とすら、思えてくる。もしくは、今病院にいるとか。それなら俺は、殺していなかった。俺は、犯人じゃなかった。
……しかし、あれだけの出血、死んでいないほうがおかしい。
「実は、あれだけの血で、内臓避けてたとか?」
「え?」
隣に座ろうとした男性が、ビクリ、と身体を震わせて、こちらを見た。視線が突き刺さる。
「……あ、すみません。あの、あ、牛、育ててて」
「……」
俺の何とか絞り出した言葉に、男性はぽかんと口を開けたかと思うと、小さく頭を何度も下げながら、別の席へ移っていった。
何だかちょっと、申し訳ないことをしてしまった。そう思ったが、言い訳も難しい。
牛じゃなければ、もしかしたらよかったのかもしれない。例えば、鶏とか豚とか。沢山血の出そうな身近な生き物で、見るかもしれない可能性のある動物。これだけしか浮かばない。
男性が離れていった様子から、どっちにしろ多分駄目だったと、少し反省した。
首を振って、思考を変える。
「聞いてみるか?」
紗季が生きているなら、俺は助かる。別れることになるだろうが、それは致し方ないだろう。ケンカの延長戦だと、証明できるかもしれない。俺に、彼女を殺す意思はなかった、と。
「でも、だからと言って、解放されるともかぎらないしな……」
殺人より、殺人未遂のほうが、罪は軽いに決まっている。だが、罪という点では、どちらも同じだ。そこへ追加される、怪我人放置に凶器の証拠隠滅、それから逃亡。私物を持ち帰ったから、捜査かく乱も入るのだろうか。
「だいぶやっちゃったかも?」
そう思っても、何だか他人事のように感じた。昨日はあれだけ焦って、不安になって、恐怖も感じたのに。気持ち悪くなって、吐いて、ぐったりして。
たかだか二十四時間未満、一日も経っていないのに、俺は薄情者なのか。……人を殺しておいて、薄情者もクソもない。
自分の中で、誰かが言い合う。「お前は悪くない」「いや、お前が悪い」と。俺自身は「そのどちらの言うことも、いまいち信じることができない」と、どっちつかずでいた。言い争う二人を、ぼんやりと見ている。
ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
「まただ」
周りを驚かせないために、表面上は取り繕う。今度は何だ。
通知の内容を確認する。この瞬間は、何度経験しても、心臓に悪い。この世の中でどれだけの人が、この気持ちに共感してくれるだろう。
俺は今、人の知らない世界にいる。昨日まで知らなかった、あるなんてことすら、知らなかった世界。
『仲直りしたいんだけど、だめかな?』
「仲直り……」
やっぱり、これは紗季だ。紗季なんだ。死んだのか、死んでいないのか。俺の手は「あのとき死んだ」と言っている。頭は「死んでなかったらいいのに」と言っている。
それを確かめるためには、このメッセージに返信して、送ってくる相手に会うしかない。でもそれは、俺自身に、警察の手が及ぶ可能性も示唆している。
上手く言えないが、今この瞬間、俺の中の好奇心が、恐怖に勝った。幽霊なのか、はたまた別人なのか、確かめてみたい。