少女は、そんな二人を交互に見つめる。疲れ切った顔と、妙に晴れやかな顔。そのどちらも、自分とは違う表情であることに気付きながら、少しだけ考えるように視線を揺らした。
それから何度か男たちを見て、遠慮がちに口を開いた。
「ねぇ」
男たちの視線が向く。
少女は膝の上で指を絡めながら、小さな声で続けた。
「わたし、ここにいてもいいの?」
その一言で、空気が変わった。ほんの少しだけ、けれど、確かに。
少女自身は、その状況に気付いていない。そんなことはどうでもよく、ただ確認しただけだった。ここにいていいのか、それとも、出ていかなければならないのか、それを知りたかっただけだ。
このあと、追い出されるかもしれない。そう思ったから聞いただけだった。
細身の男は言葉に詰まる。何かを言おうとして、しかし、適切な言葉が見つからず、思わず隣の男を見る。
大柄な男も黙っていた。先ほどまでの軽薄さは影を潜め、少女の言葉をどう受け止めるべきか、真剣に考えているようだった。
少女はその沈黙に不安を覚えたのか、慌てたように続ける。
「おてつだいするよ」
彼女は必死だった。怒らせたくないのだ。
「ちゃんとおふろもはいるし」
「……」
「ひとりでねむれるし」
「……」
「ごはんもぜんぶたべるよ、なんにものこさない」
細身の男は目を閉じた。……駄目だった。彼女小さな口からの紡がれる、その言葉の一つひとつが重すぎたのだ。
少女自身は、必死には交渉しているつもりなのだろう。迷惑にならないように、どこかへ置き去りにされないように、必死に自分の存在価値を説明している。
だが、七歳の子供がする話ではなかった。
本来なら。
少なくとも、普通の家庭なら。
「わがままもいわないよ」
「……」
「いうこときくもん」
「……」
「こわくてもなかないよ」
隣から、小さく息を吐く音が聞こえる。
大柄の男だ。
このアトリエの持ち主であるその男は、先ほどまでの軽薄な笑みを消し、どこか困ったような顔で少女を見ている。
「そんなのしなくていい」
先に言葉を放ったのは、細身の男だった。
少女が瞬きをする。
彼は続けた。
「手伝いもいらない」
「でも」
「一人で寝なくてもいい」
「……でも」
「飯も勝手に食え」
少女は黙る。それがどういう意味なのか、理解できないらしい。
男は、困惑する少女の頭へ手を置いた。
乱暴ではないが、優しく撫でる訳でもなく、ただそこにぽんと置いただけだった。
「子供は子供らしくしてろ」
少女はしばらく何も言わなかった。言葉の意味をゆっくりと噛みしめるように、じっとその場に座り続ける。
やがて。
「ほんと?」
と小さく聞く。
「あぁ、本当だ!」
細身の男は何も言わなかったが、察した大柄の男が代わりに笑う。
今度はいつもの笑顔だった。
そして数秒後、大柄の男の笑顔は、何かを思い付いた顔になった。
その表情を見て、細身の男は嫌な予感しかしなかった。……本当に、嫌な予感しかしなかった。
「そうだ」
男が言う。
「俺たちが、この子の保護者になればいいじゃん!」
細身の男が男は頭を抱える代わりに、少女の目がきらきらと輝いた。
それは比喩ではなく、本当に光を宿したかのように見え、男は頭を抱えたまま動かず、提案した男は満足げな表情で、面倒事をひとつ増やした自覚など微塵もない様子だった。
「それは却下だ」
細身の男は即座に言い放つ。それは考えるより先に出た反応だった。
「何で?」
「何でじゃない」
「いい案だろ?」
「どこがだ」
対照的な短いやり取りが続き、空気は一気に険悪になる。
「何でだよ! 大人が二人もいるんだぞ?」
「その二人とも殺人鬼だ」
「細かいこと気にすんなよ」
「どう考えたって細かくないだろう!」
少女は二人の顔を交互に見つめていたが、話の内容は半分も理解していない様子だった。それでもひとつだけわかることがあり、それは、自分が追い出される話ではないということで、だからこそ彼女は少しだけ安心していた。
「いっしょにいてもいいんだよね?」
その一言に、細身の男は口を閉ざす。その顔で見られると弱く、そしてその弱さを自覚していることが腹立たしかった。
「……一時的にだからな」
ようやく絞り出した言葉に、少女はぱっと笑顔を咲かせ、その瞬間大柄の男は勝利を確信したような顔になり、細身の男は本気で殴りたくなった。
その時、リリィが不意に言う。
「ねぇ」
「今度はなんだ」
「ふたりのおなまえ、なんていうの?」
沈黙が落ち、二人の男は顔を見合わせる。その時間は数秒だったのか、それ以上だったのかわからないが、やがて二人は同時に気付いた。互いの名前すら知らなかったのだと。
「そういえば、俺たち何にも知らないね? ……まぁ、知ってるけど。右眼孔を狙う、シリアルキラーの存在は」
大柄の男は、細身の男に聞こえるようにだけ、口の端を上げてそう呟いた。
「私だって知ってるさ。死体を飾る、シリアルキラーの存在。噂だけだが、本当に存在しているとはな」
「カッコイイだろ?」
「どこがだ」
「全部だよ!」
二人のやり取りを、少女は不思議そうに眺めている。そのうち、名前が聞けると信じて。
その眼差しにやられたのか、まずは大柄な男が名乗った。
「俺はジャック」
少女の顔がぱっと明るくなる。
「ジャック!」
「ああ」
たったそれだけのやりとりなのに、ジャックは少し嬉しそうだった。そして少女は細身の男を見る。その目は期待に満ちており、彼はしばらく本気で黙り込むと「名乗らなくてもいいのではないか」と考えているような顔をしていた。
「……オリオン」
渋々、ようやく絞り出したその名を、少女は嬉しそうに繰り返す。
「オリオン!」
その瞬間、ジャックが固まる。
「え?」
嫌な予感がした。
「まさかそれ、本名だったりする?」
「……だったらどうした」
「本名名乗るキラーとかいる? てか、本名って言っちゃう?」
「お前が聞いたんだろう!」
軽口の応酬が続き、空気は一気に騒がしくなる。
「やだなぁもう、これだから世間知らずは」
からからと笑うジャックとは反対に、オリオンの手が無言で銃へと伸びる。それもまた、殺人者としての反射だった。
「オリオン!!」
少女の声が響くと、オリオンの手は止まり、そのまま動かなくなった。彼女は満面の笑みを浮かべており、オリオンは静かに銃から手を離し、ジャックはそんな様子を見て、腹を抱えて笑っていた。
「そういうお前はどうなんだ」
オリオンは苛立ちを隠さず言う。
「ジャック? もちろん本名だよ!」
オリオンは無言になる。それはどう考えても嘘だったが、ジャックは平然としていた。
「なぁ、オリオンって、あんたもしかして冬生まれ?」
不意にジャックが言い、オリオンは眉をひそめる。
「どうしてわかる」
ジャックの顔が引きつる。
「嘘だろ!?」
「何だ」
「本当に冬生まれなのかよ!」
「だから何だ!」
驚きと困惑が入り混じり、会話はさらに加速する。
「親御さん、星見ながらあんたの名付けたのか!?」
「知らん」
「絶対ロマンチストだろ!」
「知らん!」
その様子を見て少女がくすくすと笑い、オリオンは頭痛を覚えた。もともと、名乗りたくないとは思っていたが、人生で初めて、名乗ったことを後悔していた。
すると、少女が遠慮がちに手を挙げる。
「あのね」
二人が彼女を見る。
「わたしはリリィ。リリィっていうの」
少しだけ照れたような声だった。オリオンとジャックは同時に黙り、そして。
「よく似合ってる」
オリオンが先に言った。それは、自分でも驚くほど自然な言葉だった。
「ああ。すごく可愛い名前だ」
ジャックも頷く。リリィは目を丸くし、そんな風に言われたことがなかったのだろうが、やがてはにかむように笑った。
「えへへ」
その笑顔を見て、二人は何も言えなかった。
おそらく、その時にはもう遅かったのだ。オリオンもジャックも、気付かないうちにリリィを手放せなくなり始めていたのだから。