「現世に未練残すなよクソがっ!」
今度は頭を抱える。やっと、偶然だという結果に、押し込むことができたのに。
スマホを拾った拍子に、メッセージを開いてしまった。見る気はなかったのに、嫌でもこの目に映る。
『今家にいる? 迎えに行こうか?』
「いやいやいやいや! 絶対来るなよ! 怖すぎるだろ!」
この部屋で地縛霊にでもなられたら、もうたまったもんじゃない。
背後霊も勘弁だ、一生憑きまとわれそうで困る。
「駄目だ、ここにいたら駄目なんだ。どこかへ行かなきゃ」
クローゼットを漁り、スウェットから今までで一番着ていない服へ着替える。普段なら身につけないキャップも被った。勿論マスクも忘れない。靴は、歩きやすいスニーカーだ。
それから俺は、コンビニで買った商品と財布、それから下ろした金をボディバッグへ入れて、スマホを握り締めてすぐに家を出た。
車には乗らない。乗っているときに追いかけられたら、逃げる自信がないからだ。カーチェイスなんて、とてもできない。
身体だけのほうが移動もしやすいし、立ち止まるにも困らないだろう。
「とにかく、どっか」
ICカードも使わない。俺は考えたことを忘れていない。履歴で移動がバレるからだ。
スマホの位置情報は、オフにしてある。効果があるのかわからないが、しないよりはいい。
ふと思い立ち、俺の家からも彼女の家からも正反対にある、ショッピングモールへ行くことに決めた。近場ではないし、縁のある場所でもない。
単純に、探しにくい場所だと思った。
「人も多いだろうし、あそこなら」
この気持ちを落ち着けるために、俺にとって最良の道を選ぶために、現金で切符を買って、来た電車へ乗り込んだ。
「あの映画見た?」
「何だっけ、あ、何とか監督の新作?」
「全然わかんないんだけど」
そりゃそうだ、それだけでわかるわけがない。
「この間のカフェ、めっちゃ良かったよ」
「ほんと? あ、そのネイルかわいー」
「てか、パンケーキデカすぎたんだけど」
「そのスマホケースうける」
全然会話が、噛み合ってないじゃないか。
「ふー……」
まったく落ち着かなくて、つい周囲の会話に聞き耳を立ててしまう。気持ちがバラバラで、何かを考えるということが、今は難しいんだということに気付く。
座れなかったのは残念だ。今は少しでも、身体を休めたかったのに。
「ねー、あたし、彼氏とケンカしたんだけど」
「まじで? 珍しいじゃん」
「だって、急に腹立つこと言ってくるんだもん」
今度は、彼氏の話に変わった。
「あー、そういうのあるよね」
「めっちゃムカついたから、連絡無視してる」
「あんたっぽい」
正面で話していた女性二人組に、思わず背を向ける。今は、聞きたくない。昨日のことを、ありありと思い出してしまうから。
「大丈夫、大丈夫……」
「え、何あの人。独り言?」
「こわっ、見ないほうが良いって」
俺は思わず俯いた。
「だよね」
「向こうの車両いこう」
「うん」
隣のカップルが、俺の独り言を聞いて、車両を移ってしまった。わからないが、きっとこれでよかったんだと思う。俺としても、今はカップルに近づいてほしくない。
俺は目を閉じて、ただひたすら心の中で叫び続けた。すると、周りの声が、音だけ聞こえて意味を持たなくなった。
意味を持たないから、何を言っているのか気になって仕方がない。仕方がないのに、その意味のわからなさが、なぜか逆に心地よかった。
「――左側のドアが開きます。ご注意ください」
しばらくして耳に入った、まもなく駅だというアナウンス。最後だけ聞こえて、俺は、慌てて次の駅を確かめた。
「降りなきゃ」
電光掲示板に表示されたのは、目的地の駅名。流れる人の波に乗り、俺は電車を降りて、ショッピングモールへと向かった。
ふらふらと、目的地を目指して歩く。
「……あれ? 大地じゃね?」
「え?」
名前を呼ばれて、俺は思わず振り向いた。
「ほら、やっぱり大地じゃん! 久し振りだな!」
「え、あ、祐輔? どうしてここに……」
「あー、俺、今日遅番なんだよね」
「仕事?」
「あぁ、そこのショッピングモールで」
俺の名前を呼んだのは、祐輔だった。大学の同期で、社会人になってからもたまに飲みに行っている。
最後に会ったのは、確か去年の年末、大学の卒論組でやった忘年会だったっけ。
「何だよそんな、芸能人みたいな格好して」
「芸能人って」
「帽子にマスクかよ。ついでに、サングラスでもしてりゃ完ぺきだったのに」
「からかうなよな」
サングラス、と言われて、かけてくればよかったと思った。
「でも祐輔、よく俺だってわかったな?」
「あー、なんかさ、知ってるやつって、後ろ姿とか、背格好でわかるもんじゃない? あ、あの感じはあいつだ、みたいな」
「そんなもんか?」
「そんなもんだと思うけど? 俺、だいたいあってるもん」
「すごいな」
素直に感心する。そういえば、祐輔は友人も多いし、交友関係がまず広い。だからこそ、誰が誰だか、顔を見なくとも、自然とわかるのだろう。
「お前一人?」
「あぁ、まぁ」
「あれ? 彼女は?」
ぎくりとする。その話は、しないでほしいのに。
「……今日は、別行動なんだ」
「ふーん。元気? 彼女」
「あぁ、元気だよ」
俺は嘘を吐いた。元気なわけがない。彼女は死んでいる。元気どころか、この世に存在していないのだ。
「えっと、祐輔は仕事なんだっけ」
「おう。あ、俺、三階のレストランで働いてるから、よかったら今度、彼女と来いよ。サービスするぞ」
「ははは、ありがとう」
早く切り上げたくて、短めに返事をする。これで、察してほしい。
「にしても、お前この辺に住んでたっけ?」
無理だった。
……本音を言えば、今すぐにでも仕事へ向かってほしい。普段なら、友人に会えて嬉しいところだが、今日はそうもいかない。
「いや、そこのショッピングモール、一回ゆっくり見て回りたくてさ」
「そうなんだ。俺が案内できたら良かったんだけど」
それは困る。俺は一人でいたいのだ。
「あー、そういうのは、全然。目的もないからさ、ぶらぶらして、適当に飯でも食って帰るわ」
「そうか?」
「あぁ。それより、ゆっくりしてていいのか? 仕事の時間大丈夫?」
俺はわざとらしく、スマホを出して時計を見た。
そして、一件も来ていない通知に、ホッと胸を撫で下ろす。何も考えずに画面を見たが、今度からは気を付けないといけない。
「あ、やべっ。今日、新しいバイトが来るんだよな。じゃあ俺、そろそろ行くわ。またな!」
「おう、またな」
大きく手を振りながら、走り去っていく祐輔に、俺も同じように手を振り帰した。
「また、か」
そう呟いて、俺はショッピングモールへと足を進めた。
「はぁー、何でもあるんだな」
この地域で最大級、という謳い文句は、間違っていなかったようだ。
俺が今まで行った、どのショッピングモールよりもきれいで広い。いくつもエリアに分かれていて、通路を挟んでお店がいくつもある。真ん中は吹き抜けになっていて、天井からさす光も相まって、開放感が強い。
各店舗も、何となくゆとりがあるように見えるし、ソファやテーブルセットの数も多く、空間を余すことなく使っていた。
「せっかくだし、ちゃんと見ていくか」
俺の家から逃げるために、ここへ来ただけだった。だが、気分転換も悪くない。
俺はあてもないまま、ぶらぶらと歩き始めた。
特に買う予定もないが、自分の好きなブランドの服を見て、日本初上陸を謡う日用雑貨店を覗き、試飲のワインをもらってぶどうの種類のうんちくを聞くのは、案外楽しかった。
久し振りの、自分だけの、自分のための休日だ。俺は今、自分の時間を満喫している。
「ふーん、この服、あいつが好きそうだな」
目に入ったのは、鮮やかな花柄のスカート。
簡単には、存在を消せないらしい。そうして思い浮かんだ紗季の顔がまるで映画に出てくるゾンビのようで、俺は頭を振った。