第23話:帰宅

夕闇にて君を待つ

「亡くなっている方に、見覚えは?」
「あ……亡くなってるんですね、やっぱり」
 わかってはいた。この空気感で、既に死んでいる、と。でも、顔を見ていないし、誰かもわからない。何が死因なのかも、どうして死んだのかも、なぜ私の部屋にいたのかも、何にもわからない。
 そして気が付いたら、思いのほか感情の乗らない、無機質な声が口から出ていた。

「何か、心当たりは……」
「……まったくないです」
 この言葉は、あまり気持ちの良いものではない。形式的だとわかっていても、疑われているような気になるから。
 きっと、警察の人だって同じことを考えているだろう。
 「第一発見者が事件の犯人」とはよく言うが、今の私は「違う」と声を大にして言いたい気持ちでいっぱいだ。
「通報時に『帰ったら人が倒れている』と仰ったそうですが、外出されていましたか?」
「はい。友人と出掛けていて……。家に帰ってきたら、その、鍵が開いていて。掛け忘れかと思って、ドアを開けたら、なんかこう、すごい臭いが……」
 あの臭いを思い出して、吐きそうになる。

「すみません……ちょっと、気分が……」
「あぁ、こちらこそすみません。ありがとうございます。少し落ち着いてから、またお話を伺ってもいいですか?」
「はい」
 何か飲みたくても、家に入れない。スマホも家の中だ、誰かに愚痴ることもできない。
 ……大地から、連絡は入っていただろうか。
「あの、そこの自販機で、飲み物を買ってもいいですか? もう、ずっとこの辺が気持ち悪くて……」
 私は、胸元を掴みながら、すぐ角に見える自販機を指差した。開けた場所で、ここからでもよく見える。
「構いませんよ」
「ありがとうございます。すぐ戻ってきます」

 あの臭いを忘れようと、私は大きく深呼吸しながら、自販機へ向かった。今、甘いものは飲めそうにない。炭酸がほしかったが、吐いても困る。無難に水かお茶がいいだろう。
 ガコン、と音を鳴らして、緑茶が顔を出した。
「……ふぅ……」
 キャップを開け、口をつける。喉を通る、冷たさが嬉しかった。乾いた口の中も、次第に潤っていく。
「……はぁ」

 今日は厄日なのかもしれない。彼氏とケンカして、家だけどスマホを忘れて、鍵もかけ忘れて、帰ったら死体。
 私がいったい、何をしたと言うのだろう。神様を恨みたくなる。
「もうやだ全然意味わかんない」
 これでもし、大地から連絡がきていたら困る。というのも、早く返信しないと、機嫌が悪くなるからだ。

 ――思い出す。初めて会った日のことを。

 お互い、初めてのマッチングアプリ登録だった。それい、アプリを介して、誰かと会うのも。私は私なりに、かなり気を遣って連絡を取っていた。どうしても、相手の顔色や様子を窺ってしまう癖がある。
 それは大地も同じで、気を遣ってくれていると思っていた。少なくとも、初めのうちは。

 何日経ってからだったか、会う約束が、具体的になり始めた日。その日の夜、いつも通りメッセージのやり取りをしていたのだけれど。それが、普段よりも遅い時間だった。
 大地が『眠たかったら教えてね。無理して付き合わなくてもいいから』と言ってくれたから。だから私は『今日はちょっと、仕事が忙しくて眠たくて。先に寝るね、おやすみ』と送ったのだ。ダラダラと続けていたメッセージを、その言葉を真面目に受け取って私から切った。
 ……そうしたら、返信がなかったのだ。
 翌日、日課の朝の挨拶を送ったものの、それも返事がなかった。忙しいのだろうと思って、それ以上何も言わないでいたら、夜、大地から連絡が来たのだ。『他の子と喋ってたから、連絡を忘れた』と。

 別に、それ自体は構わない。だが、それをストレートに言うんだ、と、少し不思議に思った。
「……ここで、やめておけばよかったのかなぁ……」
 ほんの少し前なのに、もっとずっと、昔の出来事な気がしてならない。

 その言葉以外は、いつも通りの大地だった。そしてまた、ダラダラとやり取りを続けていたけど、大地の機嫌は、悪くならなかった。
 決定的だったのは、初めて会った日だった。前日、私は緊張していた。朝から会う予定だったし、遅刻してはいけないと、またメッセージを切り上げたのだ。
 ――翌日、待ち合わせ場所に大地はいた。だが、そこで顔を合わせるまで、大地からの連絡は一切なかった。
 会ってからも、大地は不機嫌だった。朝、少しショッピングをして、それからランチ。初日だから、そこで解散の流れだ。ランチへ行くまで、大地は「あー」とか「うん」とか、それくらいしか言葉を発しなかった。
 まともに話し始めたときの、第一声。これは、今でも覚えている。

「あのさ。『寝ていいよ』って言われても、気を遣って、起きてるもんじゃないの?」

 だった。
 私は言葉が出てこなくて、なんて言ったら良いのか、わからなかった。固まっている私を見て、大地は溜め息を吐いていたっけ。

 そこからは、ただ大地の機嫌を取るのに必死だった。せめて、このランチの間だけでも、持ちこたえなきゃ、と。
 何とか帰るまでには、大地の機嫌も良くなっていた。でも、その日から、大地からの連絡は途絶えた。それでも良かった。心の荷が、下りたんだと思う。
 ……だから、何か月か経って、大地のほうから連絡が来たのは驚いた。最初は当たり障りない会話、それから、大地は女の子の話と、自分の仕事がいかに大変か、ばかり話していたけれど、それも適当に返していた。久し振りだし、誰かから連絡が来るのは、確かにちょっと嬉しかったから。
 大地は沢山の女の子とやり取りをして、そこから会いもしたそうだけど、続かなかったらしい。なんとなく、私は理由を察したけれど、本人はわからなかったみたいだ。

 彼から誘われた時は、正直悩んだ。でも、一回会って駄目なら、そこでやめればいいと思って、結局会った。なぜか、そのときは何も起こらなかった。ただ優しい人だった。しかも、何度かその後会うことになって、そのときも変わらずだったのだ。
 付き合うことを決めて、実際に付き合った後。少しずつ、最初に見た大地へ、変わっていった。……いや、戻っていった。

 ――と、私なりに、大地の性格は、わかっているつもりだった。
 このことを思い出すと、胸が痛い。そして、返信をちゃんとしなくては、大地の希望通りにしなくては、と考えてしまうのだ。
 連絡がきている可能性は、低い。低いからこそ、対応を間違えると、即失敗に繋がる。
「何だか、呪いみたい」
 お茶を半分まで飲んで、私は警官の元へと戻った。

「すみません、お待たせしました。少し、楽になりました」
「良かったです」
「もう、何が起こったのか、私もよくわかっていなくて」
 正直に言う。警察というだけで、悪いことをしていなくとも、身構える人は多いだろう。私はそのタイプだ。妙に緊張してしまう。
「あの、そういえば、スマホが中にあるんですよ。お昼過ぎに一度帰ってきて、その後また出かけたんですけど。そのときに、忘れていってしまって」
 はっきり「スマホを取りに行ってもいいですか?」と聞いても良かったが、だめだと言われる気がして、言えなかった。「良いですよ」と言われても、あの中に入るのは、勇気がいるのだが。
「すみません、部屋の中にあるものは、全て証拠品となりますので……」
「あ、そうですよね」
 想像はついていたし、ダメ元だったから、断られても嫌な気はしなかった。

「今日一日の行動を、詳しくお聞きしてもいいですか?」
「はい、わかりました」
 これが、事情聴取と言うやつなのだろうか。背筋が伸びて、瞬きが多くなる。
「あぁ、形式的にお聞きしますが、中の被害者に見覚えは?」
 部屋に来た警官と同じ質問。二回目だと、不思議と不安も減る。
「まったくありません。というか、顔も見えませんでしたし、女性なのかな? くらいしか。……でも……」
「何か?」
「服が、一緒なんですよ。私の着ている服と。だから女性かな、と思ったのですが」

 気味が悪いと言えば、気味が悪かった。今日来ている服と、まったく同じ。最初見たとき偶然の可能性も考えたが、死んだ先の家主と同じ服、なんて、普通は性別が同じでもあり得ないだろう。双子か、双子コーデをするような友人。そんな相手、どちらも私にはいない。


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