ぐぅぅぅぅ……。
「……はぁ」
ぐぅぅぅぅ……。
「……あーあ。腹減った」
こんなときでも、腹の虫が鳴る俺の身体が憎い。昨日といい、生理現象とは言え、空気が読めないみたいで嫌だ。
でも仕方がない。今日もコンビニで、何か買おう。大勢の人がいるスーパーへ一人行くほどの余裕はないし、家にあるもので自炊する気力もない。サッと行ってサッと帰れる、コンビニがやっぱり一番安全だ。
「少し、買い込んでおくか?」
俺は財布の中を見た。
「いや、お金をおろしておくべきか……」
知らないうちに、俺は今後のことを考えていた。お金がないと、何もできない。
「あー……クレジットカード使うと、あしがつくんだっけ?」
先日見た、海外ドラマのことを思い出す。あの中では、逃走した容疑者の足取りを、クレジットカードの使用履歴で追いかけていたっけ。
「てことは、電子マネーもダメじゃね?」
電子マネーでも、同じことはできるはずだ。クレジットカードより、今は電子マネーを使っている。どちらも便利だが、犯罪者にとっては、諸刃の剣なのかもしれないと、初めてそんなことを思った。
「犯罪者……いや、正確には逃亡犯、か」
俺は逃げた、あの場所から。彼女を殺したときと、スマホを取りに行ったとき。二度もだ。そして今、俺はまた、彼女のメッセージから逃げようとしている。
「もういいや、飯、飯にする」
俺はスウェットのまま、コンビニへ向かった。
「いらっしゃいませー」
「っ」
店員のお決まりの挨拶に、俺は身体をびくつかせた。顔を見て、さらに息を飲む。……昨日の店員じゃないか。
心の中で、何でもない、大丈夫、と唱えながら、俺はまずATMへ向かった。
「とりあえず、あるだけ……」
俺はキャッシュカードを差し込み、思い切って口座の中に残っている有り金を、下ろせるだけ全部下ろした。銀行ごとに一日で下ろせる限度があることはわかっている。
俺はみっつある口座の、キャッシュカードを入れ替えては、可能なぶんだけ金を抜いた。
別に、何も悪いことはしていない。ただ「下ろせるだけ下ろす」という行為が、酷く背徳的に思えたのだ。
だから、信じられないほど、胸の音は大きく聞こえたし、周囲の音に敏感になっていた。周囲の視線や、店員の動きさえも気になった。
「これでよし、と」
こんな札束、初めて見た。俺はATMの横に置いてある銀行の封筒へ全額入れると、鞄の奥へと押し込んだ。盗まれたら、たまったもんじゃない。これは俺の、しばらくの生命線だ。
「ふん……とことん逃げるつもり、なのかもな、俺」
次に、この後の飯と、携帯食をかごへ入れた。簡単に食べられるものはいい。かさばらないし、手軽に持ち運べる。お茶も入れて、レジへ持って行く。
「いらっしゃいませ」
「あ、ども」
何も言わないと怪しい気がして、つい返事をしてしまった。無言なのも、店員は慣れているだろうのに。
「あ、お兄さん、昨日も来ませんでした?」
「え? あ、あぁ、まぁ」
俺にとって、今その話は、すごくやめてほしい話題だ。
「俺、ちょうど昨日からここでバイトしてんすよ」
「あ、そうなんだ」
「何か、まだ慣れないっすよね」
「そりゃあ、二日目だとね。まだまだだろうね」
普段なら、店員との会話なんて何でもない。気にせず適当に返すが、今日はやたらと気になってしまう。
「この時間、あんまお客さんこないんすね」
「そうみたいだね。こういう時間に、ちょっとでも慣れるといいよ」
下手な答えをしたら、印象に残ってしまう。そう思った俺は、他人が言いそうな言葉を放った。
「そうっすよね。あ、袋どうしますか?」
「今日は、エコバッグ持ってきたから」
たかだか五円、されど五円。逃げるしかないかもしれない俺に、五円は命とりの可能性もあるのだ。
「じゃあ、こっちで入れますよ」
「あ、ありがとう」
「うっす」
ふと名札を見ると、そこには「トレーニング中」と書いてあった。昨日から、というのは本当らしい。よく見ると、袋へ品を入れるその手つきもたどたどしいし、入れる順番も試行錯誤しているように見えた。
「お待たせしましたー」
差し出されたエコバッグを、俺は両手で受け取った。
「……頑張ってね」
「あざっす! ありがとうございました!」
ほっとしたように、店員は笑っていた。
俺は小さく手をあげて、コンビニを後にした。
これからのことを、俺は考えていない。ただ、まだ捨てていなかったごみを捨てて、明日は有給休暇を取るつもりだ。会社には、行けそうにない。
こういうとき、同じ会社で働いていなくてよかった、と、心底思う。でなければ「今日彼女どうしたの?」とか「休んでるけど、風邪でも引いたの?」と、聞かれかねない。日数が多くなればなるほど、その確率は高くなるはずだ。
「俺、指名手配されたりするのかなぁ」
ぼそりと呟く。
ドラマやドキュメンタリーだと、警官が家へ何人かやってきて、インターフォンを押す。そして、出てきた容疑者を捕まえる。
逃げたときはどうだ。そこまで追いかけて、捕まえている。はっきりとは言わない、ただ「私たちがここへ来たことに、身に覚えはあるか」なんてことを、口にしていなかったっけ。
ドラマだと追いかけて、ドキュメンタリーだと聞く。そんなふうだったかもしれない。
「もしかして、もうされてるとか?」
どちらにしろ、俺は遠慮したい。ただわかっているのは、目の前に警察がきて、俺が犯人だと知っている素振りを見せたら、間違いなく俺はその場でお縄につくだろう。
それ以上逃げ切る自身も、メンタルの安定を保てる自信もないからだ。
「……とりあえず、飯とごみだ」
飯を食った後、俺はすべてのごみを、リュックを入れていたごみ袋へ捨てることにした。
もう口を縛った後だったが、今ここにあるごみは、すべて捨ててしまいたかった。
「あーあ、思ったより固く縛ってんな、俺」
爪も使って、どうにか縛った口を解く。
「……うっ……!」
気が付かなかったが、昨日のリュックには、あのニオイが染みついていたらしい。開けた瞬間、俺の鼻の奥へ入ったかと思うと、食べ終わった後の胃を強く刺激して、俺をトイレへと直行させた。
「うげぇ、うっ、うぅぅ」
せっかく食べた俺の飯は、ごみと化してトイレから下水へ流れていった。
「ごほつ、んんん」
洗面所へいき、口の中を水ですすぐ。
「はぁ、はぁ。……最悪」
やっぱり、この臭いは大嫌いだ。
「あー……」
気力を振り絞り、ごみを詰めて再度口を閉めた。もうこれは、二度と開けない。よろよろと袋を持って、収集場所へ向かった。
いくつか既に置いてあるごみの、すぐ隣へ置き、俺は踵を返した。視界にも入れたくない。
部屋に戻って念入りに手を洗い、うがいも何度もする。そしてようやく、俺は安堵した。
何気なく見たスマホ。通知はゲームのみだった。
「流石に、もうこないよな?」
メッセージが届いた瞬間の、あの恐怖が蘇る。
「あ、そうだ」
良いことを思いついた。彼女は、かなりのSNS依存症だった。どれくらいかというと、俺と一緒にいるも、お構いなしにみんなの投稿を見ていたし、毎日のように『あれを食べた』『ここへ行った』『何を買った』『今日のコーデ』と、何回も投稿していたのだ。
それこそ、今日の空の様子や、その辺の草木、何にもない道の写真すら、理由をつけて載せているくらいに、彼女の世界が詰まっていた。
体調を崩したときだって、怪我をしたときだって、俺とケンカをしたときだって。一日に何回も、いや、数時間に一回は最低、投稿していた。
しかも、顔を隠してはいたものの、後ろ姿や日々の行動、身に着けているものを、をあけすけに載せていたのだ。何も怖くないのか、不安もないのか、彼女は顔を隠していたとはいえ、プライベートの大半を垂れ流ししていた。そんな状態だから、知っている人が見たら、会社や住所だってわかるかもしれない。
俺だったら、そんなの怖い。だって、誰が見ているかわからないSNSに、個人情報満載の内容を、毎日のように書き込むのだから。でも、彼女にとっては、そこが居場所で、アイデンティティだった。
そりゃあ、ストーカーに遭ったって、仕方がないだろうと言いたくなる。実際には、一度も言うこともなかったが。
俺はいつも、そんな彼女のSNSに、自分が出てこないことを訝しく思っていた。彼氏の存在は匂わせているものの、はっきりと俺のことは書いていないのだ。
ある意味彼女の良心だったのかもしれないが、男のフォロワーの多い彼女のアカウントを見ると、別の意図が透けて見えるような気がして、俺はいつも、なんとも言えない気持ちになった。
……つまり、そんな彼女がもし、あれ以降投稿していなかったとしたら――
「ちゃんと死んでる、ってことでいいよな?」