第29話:会いませんか

夕闇にて君を待つ

 ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
 手の中で、スマホが震えた。
『あのさ、俺が行ってやるって言ったじゃん? それなのに、それを無視すんの? それから、俺が聞いてるのに、逆に聞いてくるなよ』
「お、怒っちゃいました……」

 大地らしい、と言えば、大地らしいのかもしれない。これは平常運転だ。そのまま八代さんに見せると、彼は眉間にしわを寄せた後、なんだか難しい顔をしていた。
「仕方ないですね。それなら、今は家にいないことと、夕方ごろ、家に来てほしいを伝えてください」
「わかりました」
「あ、それから。鍵は開けておくから、そのまま入ってきてとも伝えてください」
「それ、何だか怪しくないですか?」
 つい、思ったことを、そのまま口にしてしまった。
「鍵が壊れて業者に来てもらう予定だけれど、空いていなくて夜遅くになっている……とでも言えば、多分来ると思いますよ。彼は」
「そうですかね」
 八代さんがそう言うのなら、そういうものなのだろう。私は今言われた言葉をまとめて、大地に送った。長くなると思い、ふたつに分けた。

 それからまた、十分、ニ十分。大地からの返事はなかった。
「怒ったまま、なんですかね」
「いや、違うと思いますよ。そろそろ来ると、私は思います」
 ヴーヴヴ、ヴーヴヴ。
「え、すごい」
「勘ですよ、勘」
 八代さんは照れくさそうに笑っていた。つられて私も笑った。

『仕方ないな。本当にお前は、俺がいないとダメなんだから。夕方だな。暗くなる前には帰ってろよ。わかったな? 俺は、待たないから』
「……だそうです」

 私の心は、不思議なことに今、フラットな状態だった。怖くない、不安もない、心配もない。きっと、八代さんが隣にいるからだ。刑事さんがいるのは、本当に心強い。自分一人じゃないことが、こんなに安心できるだなんて。まったく知らなかった。
「そうと決まれば、こちらも行動しましょう。嫌かもしれませんが、高峯さんには、やっていただきたいことがあります」
「ここまできたら、何でも協力しますよ」
「非常に助かります。他の刑事も呼びますから、作戦会議、といきましょうか」
「はい! あ、一通だけ、違和感のないように、彼に返しておきますね」
「それもそうですね。よろしくお願いします」
 それから私は、一通大地にメッセージを送ると、他の刑事さんたちの到着を待った。

 思っていたよりも、刑事さんたちの到着は早かった。事前に既に、何かしら打ち合わせをしていたのだろう。
「今、フロントで話をしてきました。一室借りられたので、そこで話をしましょう」
 一人の刑事さんが言う。
「高峯さん、よろしいですか?」
「はい、私は大丈夫です」
 その部屋に移動して、私たちは、これまでのことと、これからのことを話した。

 はっきりとは、まだ教えてもらえない。でも、その態度でわかる。警察から見たら、やっぱり大地が怪しいのだ、と。
「家に来る時間は、見極めたいですね」
「そうですね。このあとすぐに向かうとして、高峯さんも心の準備をする時間が、少しでも長くほしいでしょう」
 怖くはなかった。が、確かに彼を迎え入れる心の準備は、まだできていない。

「高峯さん、メッセージをもう一通、彼に送ってもらえませんか?」
「わかりました。どんな内容にしますか?」
「そうですね。『着いたら教えてほしい』とか『着く何分前に知らせて』とか、そんな感じで、お願いします。とにかく、おおよそでも、彼の到着する時間のヒントがほしい」
「では、これで一通送りますね」

 私は一度文章を討つと、刑事さんたちに内容を見せた。
『着きそうになったら、連絡してほしいな。大地のために、ちゃんと準備しておきたいから』
「送ります」
 私は、今日何度目かの送信ボタンを押した。

「ありがとうございます」
 お礼を言われて、胸が少し痛くなった。私には、大地がこのメッセージをどう受け取るか、何となく想像がついたからだ。
「あの、送っておいてあれですけど、多分その、あんまり上手くいかないと思います」
「うーん、やっぱりそう思います?」
 私の言葉に、八代さんが反応する。私と同じように、八代さんも察したらしい。
「はい。私の言うことですし、こう、真剣には捉えないというか。連絡は、してこないですよ、きっと」
 そう言ってみると、全員黙ってしまった。想像に易いのか、八代さんだけちょっと笑っている。

「うんうん。えぇ、私もそう思います。来るとしたら……夕方を過ぎてから、夜とかでしょうし」
 八代さんは、この短時間で大地がどういう人間なのか、理解してくれたようだ。
「いつも、そんな感じなんですか?」
 なぜそうなるのかわからなかったのだろう。刑事さんのうちの一人が、私と八代さんの顔を交互に見ながら聞いた。
「そうですね。人の話を聞いていない、じゃなくて、わざとそうしてるんだと思います。だから、夕方には来ません。それどころか、私もあえてですが『夕方ごろ』と書いたので「そんな曖昧な書き方するほうが悪い」とか、言ってくるんじゃないですかね」

 聞いた本人含め「あぁ、なるほど」と言った顔で、みんな頷いていた。言いたいことは上手く伝わったらしい。
「ある意味、わかりやすくていいかもしれません。勝手に勘繰った上で、自滅してくれるかもしれませんし」

 自滅。

 八代さんの言う、自滅とはつまり――
「とにかく、そろそろ向かいましょう。いいですか? 高峯さん」
「は、はいっ! 大丈夫です!」

 ――それから。

 私は、言われた通りに行動した。
 言われた通り、自分の家へと戻った。そして、着替えることなく、この服のまま、大地の到着を待った。外は夕暮れ、陽が落ち始めて、空がオレンジ色に染まっている。

 ただ、私は家の中に、一人でいるわけではなかった。ベランダの死角、お風呂場、クローゼットの中。それに、カーテンの裏。警察と一緒に、私は今、大地を待っている。
 家の中にもいるが、実は外にもいた。路上駐車中の車、電話をしながら辺りをうろつく男性に、犬の散歩中の主婦。車で来る場合と、電車で来る場合両方を考えて、近くのコインパーキングをいくつかと、最寄り駅にも張り込んでいるそうだ。抜け目がないとは、こういうことを言うんだろうか。
 これだけ人員を割くほどの事件でもないと思うが、本人が来さえすれば、容疑者を確保できることを考えると、私が思っているほど大げさではないのかもしれない。

 大地から連絡が来るか、玄関のドアが開くまで、八代さんが私と会話してくれることになった。イヤホンマイクも、片耳ワイヤレスだから、あまり負担ではない。
『もう、夕方になりましたね』
「そうですね」
 イヤホンの確認がてら、私は八代さんと、軽い会話を交わす。

『まだ、何もメッセージは来ていませんか?』
 その言葉に、私はスマホを確認した。わかってはいても、やはり返信がないと落ち着かない。
「そうですね。メッセージも来ていませんし、着信とかもないです、はい」
『そうですか。まだ、パーキングと駅の要員からも、連絡はありません。向かっている途中でしょうね』
「はい」

 今日は来ない、そうは思わなかった。大地ならきっとくる。だって、彼が犯人だとしたら、私が生きているのか気になって仕方がないはずだから。家に帰っていないなら、余計に信ぴょう性がある。それに、来る気がなければ、私が完全に死んだと思っていたら、メッセージ自体見ないはずだ。
『そうだ、高峯さん』
 思いついたような言葉。
「はい、なんでしょう?」
『こんなタイミングで恐縮ですが、あの被害者は、あなたのストーカー確定です』
「そうでしたか……」

 あまり、驚きはしなかった。納得できたからか。
『被害者のSNS投稿は、昨日の夕方、この部屋で撮ったと思しき写真で、終わっていました。マグカップふたつと、あのテーブルですね』
「……だから、大地はマグカップを持って帰ったんですかね」
 だって、殺す前に自分がいたという痕跡なのだから。私が用意したわけでもなければ、実際に大地がいたわけでもない。
 意図せず出来上がってしまった、犯人があの場にいた痕跡。
 
『それはわかりません。ですが、可能性はあります。詳しいことは、本人に聞いてみましょう。どの立場にあれ、私たちは彼に話を聞かなければなりません』
 少しだけ、私は目を細めた。
「えぇ……」
『詳しいお話は、彼と対面してから。それからにしましょう』

 ぷつり、と、通信が途絶えた。耳の奥から、八代さんの声が消える。私は、部屋に立っていた。立ち尽くしていた。
 大地に、来てほしいような、来てほしくないような、複雑な気持ちが渦巻く。ホテルにいたときは、もっと強く、自分のためを考えられたのに。
『――すみません』
「あっ、はい!」
 八代さんとは違う声。


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