お昼を過ぎるころ、神社の境内は人でいっぱいになっていた。白い幟が風にはためき、古い太鼓の音が低く響く。
「……あしか」
拝殿のほうから呼ばれて、私はハッと顔を上げた。そこに立っていたのは、白装束を着た清丸。普段の制服姿とは全然違う、神様そのものみたいな凛とした姿。
「清丸……」
「くると思ってたよ」
いつもの軽い言い方なのに、その声は少しだけ低くて、どこか遠く感じた。
「……もうすぐ始まるの?」
「ああ」
清丸は、ほんの一瞬だけ私をジッと見た。その瞳の中が、何かを言いたげに揺れる。
「何?」
「いや……なんでもない」
「言ってよ」
「――言ったら、行けなくなるだろ」
その一言で、息が詰まった。清丸は、ほんの少し笑って、視線を逸らす。
「……絶対、戻ってくるからさ」
「本当に?」
「ああ、俺、まだまだあしかと一緒にいたいから」
そう言う清丸は、やっぱりいつもの清丸だった。でも、その笑顔の奥に、ほんの少しだけ震えがあった。
「……約束だよ」
「おう。――泣くなよ、あしか」
――ドォン。
太鼓の音が、一際大きく鳴り響いた。それが、神事の始まりを告げる合図だった。
太鼓と笛の音が響くと、境内の空気が一気に変わった。まるで、空気がピンと張り詰めて、風の流れまで止まったみたいだった。
拝殿の前に進む清丸。白装束の裾が風に揺れて、その姿が光に包まれていく。続いて鈴緒と音羽が進んでいく。……彼らおきつねサマの姿が見えているのは、私とナナ、みっちゃんにココ、それから時嶋家の人たちだけだ。
お狐様の前では、時嶋君が奉納の舞を舞っている。それだけでも特別な空間なのに、何か不思議な力が働いているのは、ピリピリと肌を刺す空気でよくわかった。
(――清丸、ホントに、あの清丸なんだ)
今まで『清丸は清丸』って思ってた。人間も神様も関係なく。でも、今そこにいるのは、私が知ってる清丸でありながら、もう一人の『神様』である『おきつねサマ』だった。その背中が、すごく遠くて――
「……あしか、大丈夫?」
ナナが小声で囁く。
「……大丈夫じゃないよ」
「だよね。――でも、あんた、どうするつもり?」
ナナの言葉に、ハッとした。私は無意識に手を握りしめていた。
(……どうするつもり、って)
清丸は行こうとしている。このまま行かせたら、戻ってこれないかもしれない。でも、それを止めたら、清丸が背負ってるものを壊しちゃうかもしれない。
(……でも、そんなの、いやだ)
胸が熱くなって、心臓が痛いくらい高鳴る。
(私、清丸がいないほうが、もっといやだ)
清丸が祭壇の前に膝をつき、両手を合わせた瞬間――空気が一変した。境内に強い風が吹きつけ、空が急に暗くなる。子どもが泣き出し、周りの大人たちが「始まったぞ」とざわめく。私に見えている光景と、他の人たちに見えている光景は違う。でも、感じていることは一緒だ。明らかに、空気が変わった。
「……清丸」
白い光が清丸の周りに溢れ始める。その光が、段々と清丸の体を包み込み――
(やだ……清丸が、遠くなる)
目の前にいるのに、手を伸ばしたら届く距離なのに、まるで別の世界に行っちゃうみたいな感覚がした。
清丸が祭壇の前で両手を合わせると、境内全体に白い光が満ち始めた。鈴緒と音羽も続く。光は最初、蝋燭の火みたいに小さく瞬いていたけれど、すぐに眩しいくらい強くなった。
「わぁ……」
周りの人たちが息を呑む。ナナが私の隣で呟いた。
「これが――おきつねサマの本気、なんだね」
空気が震えるような音がして、風が境内を渦巻く。髪がバサバサと舞い、正装のつもりで着てきた私の制服の袖も、一緒にバタバタと揺れた。それなのに、清丸たちは微動だにせず、祭壇の前で膝をつき、ジッと祈りを捧げている。
(清丸……すごい。これが、本当に【神様】の顔なんだ)
そう思うのに、胸はちっとも誇らしくなれなかった。だって、その光の中で清丸が段々と――段々と、薄く、遠くなっていく。
「……あしか、大丈夫?」
ナナが私の袖を引く。
「……大丈夫じゃないよ」
声が震えて、自分でもビックリした。
(清丸が、このままいなくなっちゃう……)
光はどんどん強くなり、清丸の輪郭が揺れて見えた。鈴緒も音羽も同じだ。――けれど、清丸だけはどこか苦しそうだった。身体が透けていくわけじゃないのに、存在がどんどん遠ざかる気がした。
(やだよ……やだ。清丸、戻ってくるって約束したじゃん……)
心臓が痛いくらい早く打つ。その音が、風や太鼓の音よりもハッキリ聞こえる。
「……あしか、泣きそうじゃん」
「泣いてない」
「でも――清丸、あの調子だと……」
「やめてよ、そんなこと言わないで!」
思わず声が大きくなって、周りの大人がちらっとこっちを見る。でも、そんなのどうでもよかった。
その時――光の中の清丸が、ふとこちらを見た。
一瞬だけだった。でも、その目は、確かに私を探していた。
「……清丸」
思わず小さく呼んでしまう。
清丸の唇が、何かを動かした。声は届かないのに、その形がはっきりと読めた。
『――泣くな』
(……清丸、バカ。そんなこと言って、勝手にいなくなる気なんでしょ……?)