「……う……」
「――あ! 隼人!」
「っ、あ……かえ、で?」
「良かった、目開けて! 死んでるのかと思うぐらいうんともすんとも言わないんだも。マジでちょっと焦ったぞ?」
「……ごめん」
「いや、寝起きに悪いな、変な言いかたして。身体動かせそうか?」
「……最初に起きたときに比べたら、全然。麻酔、よく効いてたのかな」
「俺もそんなんだったからよくわかるよ。手、動かしてみ?」
目の前に、三兼に呼ばれた楓がいた。隼人は楓に言われるまま腕を上げて手を振ろうと試みた。
「……問題なさそう」
「なにより」
自分の意識通り、腕を上げて手を振ることができた。無事に脳みそが身体に馴染んだらしい。
「待ってくれてありがとな」
「いいってば。誰かいるほうが安心だったろ? 帰るときとか大丈夫かって不安にならなくて済むし」
「うん」
「隼人腹減らねぇ? これ、サンドウィッチとマフィン買ってきたから、気持ち悪くなかったら食えよ」
「ありがと」
「あれ、いきなり食わないほうが良いんだっけ……?」
「意識がはっきりしていて、身体も思う通りに動かせるようでしたら問題ございません」
「だってよ」
「じゃあ、もう大丈夫、かな?」
「立ち上がれるか? 歩くのは少しずつにしたほうが良いぞ? 焦ると転ぶからな。……俺は転んだ」
「わかった、気を付けるよ」
隼人は体制を変えて自分の腕を支えにすると、ゆっくりと起き上がった。ここまで特に問題がないことを確認して、そこから足をベッドから床へと移し、楓の手を借りて立ち上がる。
「お、問題なさそう。歩ける?」
「あぁ、多分」
右足を一歩前へ出す。続けて左足を一歩前に。楓の手を離して部屋の中を歩くが、その足取りは最初は少しぎこちなくもあったが、歩数を増やすごとに問題なくなっていった。
「……良さげじゃない?」
「おけおけ! それならもう退院できそう」
「お疲れ様でございました、譲原様」
「うん、ありがとう。三兼さん。楓も」
意識がハッキリした今、隼人はフルボディとオリジナルの違いを感じられないことに安堵した。と同時に、自分がフルボディであることを忘れてしまいそうで複雑な気持ちにもなった。
「これ、退院って医者の許可要るんですかね?」
「お声がけは必要となります。私が参りましょう」
「お願いします」
「隼人、荷物これだけ?」
「あぁ、うん。全部閉まってたから、ホントその鞄だけ」
「りょーかい。俺が運ぶから心配すんな」
「ありがと」
三兼が医者を呼びに行き、隼人は隊員の許可をもらった。名残惜しくもない部屋を後にして病院を出る。
「これから会場へお越しいただけますでしょうか?」
「何かありましたっけ?」
「提出していただいております個人情報の、書き換えを譲原様自身の手で更新していただきたいのです。こちらで勝手に変更することはできませんので……。まだ身体が落ち着かないとは存じまずが、何卒お願いいたします」
「あ、わかりました。それくらいなら……。いいかな、楓」
「構わないよ。車の中で飯食ってけよ」
「そうする」
「それでは、会場でお会いいたしましょう」
三兼と病院で別れ、隼人は楓の車に乗り込んだ。
「お疲れ、隼人」
「あぁ……」
「実感湧かない?」
「全然。だって、傷があるって言われた場所も痛くないし。大きな傷のはずなのに。今まで通り身体も動いてるし、考え事もできるし、本当に変わったの? 俺まだオリジナルなの? ってくらい実感ない」
「バーコード、どこにあるって?」
「あ、えーっと。左の脇の下……? 辺りって言ってた気がする」
「そこ見たら、オリジナルなのかフルボディなのかわかるだろ」
「……見てみる」
「おいおいここでかよ。良いけどさ。周りから見たら完全に変なヤツだぞ?」
「誰も車の中なんか見てないよ」
隼人は服を脱いで脇の下付近を見た。そこには確かにバーコードがあり、ようやく自分が『フルボディ』になったことを感じた。
「あったわ」
「おいでませフルボディの世界へ!」
「何か変わる?」
「なんにも? あ、メンテナンスは忘れるなよ? 病院から連絡来ると思うけど」
「うん。家に帰ってもらった資料も読まなきゃ」
「真面目だな隼人は」
「……家族には内緒でフルボディになったし。バレたら絶対『なんで!?』って詰められるだろ? だから、そうしないためにも資料は読んでおくべきだって思ってるよ」
「えらいなー。ま、困ったことがあったら聞いてくれ」
「ありがとう」
朝、オリジナルとして病院へ向かった道を、今度はフルボディとして戻ってくる。見えている景色はその時と何も変わらない。
会場では既に情報入力のための準備がされており、隼人は言われるがまま更新をした。目の前にあるのはたかだか文字でしかないのに、文字を打ち込む指にのしかかる現実は重くてねっとりとしていた。用も済み特に賭け事をすることもなく外へ出る。もう辺りは日が暮れ始めていた。気を遣ってか、家へと帰る道のりも楓は今日のことについては何も言わなかったし聞かなかった。隼人はそのことに感謝しつつ、他愛もない話を繰り返し車内の雰囲気が悪くならないよう明るく努めた。
「一日付き合わせてごめん。マジで今日は助かったよ」
「今更だって! 明日仕事どうする? 来るか?」
「あぁ。そこは一応」
「おー。真面目」
「今のところ目立った問題がないとはいえ、この身体には早く慣れておいたほうが良いだろ? 流石に朝起きてメチャクチャ体調悪かったらやめるけど」
「脳と身体を馴染ませる、ってやつだな。体調悪くなったりしたらすぐに言えよ? 俺は身軽だから病院でもなんでも連れてってやるから」
「……彼氏かよ」
「そんな趣味はねぇよ」
軽口を叩き、楓は隼人を家まで送ると『また明日な』と言って帰っていった。隼人一人になり、マンションの鍵を開けてオートロックを抜ける。心臓の鼓動が早くなっている気がした。――まだ、リコに自分がフルボディとなったことはバレたくない。そう思うとどんどん鼓動が早くなる。じんわりと冷や汗をかきながら、自分の家のドアの鍵も開けた。
「ただいまー」
「……おかえり!」
リコの声がする。パタパタと走る音とともに、リコと結人が玄関へやってきた。
「パパおかえり!」
「ただいま結人」
「おかえりなさい。今日は早かったんだね」
「あぁ、今日の仕事が早めに捌けたからね。これ以上仕事が振られないように、しれっと帰ってきた」
自分で思っていたよりも、ずっと当たり前のように口から嘘が流れていったことに、隼人は少し罪悪感を感じながらもホッとしていた。
「パパあそぼー!!」
「着替えてからな。桐人は?」
「今日は新しい子が園に来たみたいで、いっぱい遊んだからって帰ってきて疲れて寝ちゃったの。今もまだ寝てる」
「変な時間に寝ちゃったんだな」
「うん。だから、変な時間に起きるかも」
「仕方ないな」
「ご飯の準備するから、着替えたら結人と遊んで待ってて」
「あぁ、ありがとう。結人、ちょっと待っててな。……ブロックで、緊急車両の基地作れるか?」
「まかせて!! つくってまってるから、はやくきてね!!」
結人をオモチャのあるリビングへと行かせ、隼人は寝室へ入った。クローゼットを開け、部屋着へと着替える。そして、自分の左脇の下にあるバーコードを再度眺め、なんとも言えない顔をした。
「――パパぁ!!」
「うおっ、ビックリした!」
慌てて袖を通しかけた服を下までおろす。
「……? なにしてるの?」
「……虫に刺されたみたいでさ。ちょっと痛くて痒いな、って」
「だいじょーぶ?」
「大丈夫だよ。結人はどうしたんだ?」
「あのね、きゅうきゅうしゃのスライドドアがこわれちゃったの! なおして!」
結人の手には、サイドドアの外れた救急車が握られていた。
「もうちょっと待ってなさい。すぐに行くから。ね?」
「はぁい」
結人は部屋を出てリビングへと戻っていく。隼人はバーコードを見られなかったことに安堵しつつ、なにもなかった顔をして同じくリビングへと向かった。
「……あれ? 隼人、ちょっと顔色が悪い……?」
「え、そう?」
「気のせいかな……」
「忙しいのも続いてたから、早く帰れることに安心して疲れが出ちゃったかも?」
「無理しないでね?」
「うん、大丈夫だよ。結人ー! 救急車見せてごらん?」
「はーい。……なおる?」
「外れただけだから、はめ直せばいいんだよ。ちょっと力がいるかも。小さな部品で危ないから、またなっても自分で直そうとするなよ?」
「うん!」
「よし。……ほら、直った」
「パパありがとー!」
隼人は救急車を結人の手へ戻すと、一緒にブロックで基地を作り始めた。