第30話:失うということ_3

出口のない部屋

 気が付けば、三兼はいつもの優しい笑みをたたえていた。

「明日の九時に、こちらの会場へいらしていただけますか? そこから、提携している病院へ一緒に向かいます。……ご安心ください。持ち物は身分証と……そうですね。――いえ、身分証があれば十分でございます」
「わかりました」
「一度、採血をお願いしてもよろしいですか? クローン体を作成いたしますので」
「あ、はい」
「献血されたことは?」
「一度だけあります」

 ぼんやりとしていて、その目は虚ろだ。

「今後は献血もできませんのでご了承ください。……クローンの血液は、現状本人のもの以外使用できませんので。採る量は四百ミリリットル。これだけ抜くのも、おそらく最後でしょう。大きな事故にはお気をつけて。病気はさほどご心配なさらず」
「クローンって、病気にならないんでしたっけ」
「少なくとも、クローン体を利用されている部分は病に蝕まれません。脳に何か起こった場合は、絶望的ではありますが」
「……脳は……そうだよね」
「今から気にされても、仕方のないことです。……返済が完了しましたら、コインはリセットされますのでご安心ください。……ただ」
「ただ?」
「VIPフロアへ入る資格は剥奪されます」

 求めて手に入れたものなのに。

「あ……もう二度と入れないんだっけ?」
「いいえ。デジポットの五千万円が返却されますので、そちらを利用して再度ご利用いただいても構いません。ですが、コインがリセットされるということは、その五千万しかないということになります。これを今後の資金にして増やしていくのか、そのまま再度VIPフロアへ入り高額な賭けを行うのかは、お客様次第でございます」

 『再度VIPフロアを利用できる』と聞いて、隼人はホッとした。この会場に来ても、あのフロアに行くことができないのなら意味がない――そう思っていたからだ。

「勿論、五千万を持ってこちらの会場へは二度と来ない、という選択肢もございます」
「何も知らなかったころの日常に戻るのか……」
「左様でございます。五千万は大金です。お忘れなきよう」
「……はい」
「忘れるところでした。カードキーを、こちらに」

 隼人は名残惜しそうにVIPフロアのカードキーをひと撫ですると、両手を出して待っている三兼のその手のひらの上に載せた。

「こちらに医者が参ります。血液採取をしてから、少しお休みになってお戻りください」
「あ、そっか……はい」
「それでは、また明日お待ちしております。阿形様が残られている可能性がございますので、どうぞ、ご確認ください」
「ありがとう、三兼さん」
「いえ、私は自分の仕事をしたまでです」
「それでも、ありがとう」
「……恐れ入ります。それでは、また明日お会いいたしましょう。私は別室にてやることがございますので。休憩後は入口の彼と一緒にお戻りください」
「はい」

 採血後少しばかり休憩して、隼人はドアの向こうで待っている男性と一緒に上のフロアへと戻った。VIPフロアへ入るためのカードキーは返却しており、もう下の階へは入れない。今はまだ、目に見えて失ったものはなかった。自分の身体はオリジナルだし、家も車も失っていない。ただ、デバイスに表示された二億オーバーのコイン表示だけが、隼人の現状を示している。

「あ! 隼人! 大丈夫か!?」

 いつものフロアへ着いたとき、楓がすぐに隼人の元へと駆け寄ってきた。心配そうな顔をして、ジッと隼人を見ている。

「あ、あぁ……」
「いや、あんなに早くアラームなるとは思わなくて……。俺がもっと先にコイン渡してたら……」
「違う! っ……あ……ごめん……」
「いや、いいよ別に」
「俺が見境なく賭けてたからさ……もっと、ちゃんと考えて賭けてたら……」
「誘ったのは俺だし、そこは俺の責任もあるんじゃないかなって思ってさ……。だから、俺もコイン出すからさ!」
「さすがに二億は無理だろ? それに、俺もう担保として出してきたから」
「そんなの持ってたか? お前」
「あぁ。……俺自身」

 楓の顔色が変わった。

「は?」
「俺自身だよ。俺はオリジナルだから」
「身体差し出す……ってことか……?」
「そうだよ」
「でも、その額じゃあ全部出さないと……」
「出すよ、全部」
「隼人……」
「そんな顔すんなよ楓! 俺もお前と一緒! フルボディの仲間入り!」

 隼人は楓に心配をかけないよう、努めて明るく言い放った。そんな隼人の意図を汲んだのか、楓もすぐに笑って見せる。

「それで、いつなんだ? その、フルボディになる日」
「えーっと、明日?」
「明日!? メチャクチャ急じゃないか!?」
「早くしないとさ、決心も鈍っちゃいそうだし。それにいつまでも借金抱えたままじゃいられないだろ?」
「そりゃそうだけどさ……もうちょっとこう、名残惜しむ時間って言うか、そういうの要らなかったの?」
「んんー……急に難しいこと言うんだな。全然考えてなかった、俺」
「おいおい、フルボディからしたら、憧れのオリジナルの身体なんだぞ? もうちょっとこう、さ」

 あっさりと言ってのける隼人に、楓が焦る。

「写真くらい残しておくかな? 明日、オリジナルとして最期の」
「……俺も病院いっていい?」
「どこの病院でやるかわかってるの?」
「隼人知ってる?」
「知らない。明日朝ここに集合して、そのあと連れて行ってくれるって」
「それ俺ストーカーするわ」
「え」
「あとついてく。ダメなのかな、誰か聞いてみるからさ。術後の車の運転はまずそうだし、それに車乗っていったら奥さんにバレちゃうだろ? こんな話奥さんにはできないだろうし。俺が送り迎えしてやるよ! そしたら何かあってもすぐ病院へ戻れるし」
「いや、でも、楓今激務じゃん……。そんな人間俺のために休ませられないよ……自分のために休めよ……」
「いやいやいやいや、大事な友達の局面に、休まないでいつ休むんだっての。まぁ、待ってる間に俺も休憩するからさ。それならいいだろ? な? な?」
「わ、わかったよ……。そこまで言うなら、お願いするよ」

 その優しさに、少しだけ救われた気がした。

「おうおう! 遠慮するなって! じゃあ、朝何時に迎えに行けば間に合うか、あとで連絡くれよ。そしたらオレ、その時間に間に合うように家出るからさ。あ、家じゃないほうが良いか? 最寄りの駅とか」
「そのほうが良いかも。家だとバレる可能性あるもんな……」
「念には念を入れて。……今日はもう、帰るか?」
「あぁ。帰るよ」
「送っていくよ」
「いつも悪いな」
「これくらい。俺が好きでやってんの」

 いつもの調子で話す楓の気遣いが隼人は嬉しかった。正直に言えば、自分がオリジナルでなくなることに不安がないと言えば嘘になったし、できるだけあっけらかんとすることで自分の心理的なダメージを軽減していた。まだ現実味が無くて『これは夢なのかもしれない』と思いもしたが、デバイスに表示されたコインの枚数が現実だと知らせてくる。

 楓の車へ乗り込み、無言の状態で車は隼人の家へと向けて走っていた。明日から、隼人の見るこれらの景色は、もうオリジナルの目を通してではなく、クローン体の目を通してのモノへと変わる。耳から入る音も、口と喉を通して飲み込む物も、その手で触れる物も、すべてが今の隼人が受け取る物ではなくなってしまうのだ。感じかたや見かたは今とまったく変わらないかもしれない。それでも、オリジナルという肩書からフルボディという肩書へと確実に変わるのだ。

「なぁ楓」
「なに?」
「もし、さ。明日病院へ行かなかったらどうなると思う……?」

 隼人は不意に思ったことを口にした。

「逃げるってこと?」
「そう」
「お前そんなことするの?」
「しないけど。……しないけど、どうなるのかなぁ……って、ちょっと思っただけ」
「ふーん。……まぁ、無事では済まないよな?」
「そう思う?」
「思うよ」
「なんで?」
「なんで……って。だって、シナガワがアレだったんだぞ? 返済能力の無いシナガワの借金は六千万で、それでVIPフロアのゲームプレイヤーとして死んだのに。……死んだのは、本人的には予想外だったかもしれないけど。それに比べて、お前は二億だろ? 桁が違うから、正直、あれじゃあ済まない……って思うよ。怖いけど」
「……だよなぁ」
「もし逃げたとしてさ。お前の家族って、いったいどうなるんだろうな……」
「怖いこと言うなよ!」
「だってお前が言い出したんじゃん!?」
「家族は卑怯だ家族は」
「でもさ、あり得そうじゃん? シナガワは家族売ったって話だしおかしくないって言うか」

 シナガワの家族の話は知っている。あの会場では、とても有名な話ではあったようだ。彼がいなくなったあと、口々にみな同じ話をしていた。

「やめやめ! 俺は逃げないし、今後そんな借金するつもりもないし! ……はぁ……俺の自制心どこ行ったんだろ……」
「大丈夫だよ。俺がいるから。次はどうする? VIPフロア。カードキー返したんだろ?」
「あぁ。そのデジポット分が返されて、一応五千万はあるはずなんだけど」
「でも賭けるには足りないよな……」
「あのフロアには正直戻りたい。だからまぁ、考えてみるよ」
「そっか」

 隼人の住むマンションへ着き、二人は手を振って別れた。


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