第20話:沼へはまる_1

出口のない部屋

「……なんだか最近、すごく機嫌が良いよね?」
「そうかな? ……あ。仕事で成果が出たからかも! 上司に褒められるのは、いつになってもやっぱり嬉しいね」
「順調そうでなにより」
「お陰様で。……ホント、助かってるよリコ。忙しくて、なんか全部任せちゃってゴメン」
「良いのよ。体調も良くなったし、少しは動かないと、体重増えちゃうしね」

 産婦人科の待合室で、小さな声で隼人とリコが話をしていた。息子二人はリコの実家にお願いして、夫婦二人で妊婦健診へ来ている。
 ……残業と嘘を吐いて楓とともに賭博場へ行っていた、その罪滅ぼしのつもりだった。隼人は産婦人科で待つことが好きではない。予約時間が決まっていても大幅に遅れることも多く、分娩が始まったらそのまま長時間待つか、再度予約の取り直しとなり、また長い時間別日に待つハメになるからだ。予測不能なことがあることは勿論重々承知していたが、少々割り切れない気持ちもあった。

「今日は中入る?」
「あぁ、入るつもりだよ。何気に入るの初めてだよね、この子」
「ずっと平日に行ってたからね。土曜の予約、全然取れなくて」
「取れてよかった。一回くらい、直接エコーで見たいもん」
「もう性別わかってもいい頃なんだけど、頑なに見せてくれないのよね」
「あれかな、また男の子だったりして」
「全然いいよ? 男の子三人、賑やかそう」
「女の子だったら俺、めちゃくちゃ甘やかしちゃいそう」
「隼人ならやりかねない」
「ちょっとその言い方……!」

『――A15番の方ー、A15番の方ー。診察室3へお入りください』
「あ、きたきた」
「ちょっと緊張するな。性別わかりますように!」

 リコの番が来る。二人は案内された診察室へと入った。

「はい、こんにちは」
「こんにちは」
「譲原さんね。……ええっと、体調は、どう?」
「良いと思います。出血もないし、体重増え過ぎないように、ちょっと歩く量を増やしたんですが、今のところしんどさもなくて」
「そう。うん、体重と血圧は問題ないね。他に気になることはある?」
「いえ、特には」
「じゃあ、エコー見てみようか」
「はい」

 カーテンで隔てられた、診察用のベッドへ向かう。エコーを録画するためのUSBメモリを看護師へ渡し、カーテンが閉められたことを確認してベッドの上に仰向けで寝転がると、お腹を出してエコーを待った。隼人はカーテンの向こうで、エコーの映し出された画面を見ている。

「はい、じゃあ見ていくよ」
「お願いします」
「うん、ちょっと冷たいよ」

 お腹にエコー用のジェルが塗布される。ひんやりとした感覚とエコーを当てた時のくすぐったさに、リコは何度経験しても慣れないでいた。

「……あー、うんうん。あれ、まだ性別知らないんだっけ?」
「そうなんです。中々見せてくれなくて」
「そっかそっか。これね、今性別わかるよ」
「本当ですか⁉︎」
「うんうん。知りたい?」
「知りたいです!」
「はいはい。これね、ここ。ついてないでしょ? 女の子だね、ほぼ確定でいいよ」
「女の子⁉︎ いっ、やったぁぁぁ‼︎」
「ちょっと隼人うるさい!」
「ご、ゴメン」

 隼人は小さくガッツポーズをして、待望だった女の子という報告に喜びを隠しきれないでいた。男の子も可愛い。が、女の子も可愛いだろう。上二人は男の子だから、隼人はずっと女の子がほしいと思っていた。元気に生まれてきてくれればどちらでもいいという気持ちもあったが、どうしてもリコには言えない、人間の力ではどうしようもない欲があった。女の子ならとにかく嬉しい。だけど、リコに似てくれたらもっと嬉しい。自分には似てほしくない。生まれるまで顔はわからないが、そんなことを祈りながらエコー映像の中で動く胎児を見ていた。

「はい、今回のエコーね。動画も撮ったから。何か普段と違うことがあったら、すぐに来てね」
「はい」
「じゃあ、次は二週間後に。受付で予約とってね」
「はい、ありがとうございました」
「ありがとうございました」

 診察室を後にして、待合室へと戻る。

「待つのは長いけど、診察は一瞬だな……」
「そんなものだよ」
「いやでも、俺今日来られてよかった。性別もわかったし」
「女の子、隼人は念願じゃん」
「嬉しい。マジで。小躍りしたいくらい」
「それは恥ずかしいからやめてほしい」
「真面目に返すなよ。冗談だよ」
「隼人ならやりかねない」
「しないって。……あ、帰りご飯食べてく?」
「お昼、ステーキ食べたい」
「カロリー大丈夫か? それ。今日は平気だったけど、結人の時も桐人の時も、体重過多のスタンプ押されてるんだから」
「あの時とは先生変わってるから大丈夫だよ。話したらみんな『そこの先生厳しいね』って言ってたし」
「そんなもんなの? まぁ、わかった。ステーキね」
「やった! 楽しみ!」

 つわりと切迫流産を経験し、不自由な生活を強いられていたリコにとって、食はささやかな楽しみなのかもしれない。それで機嫌よく生活ができるならと、隼人はよく行くお店へ予約を入れた。

 柔らかくジューシーなお肉を食べて満足した後、結人と桐人を迎えに行く。息子二人は二人でリコの両親に回転寿司へと連れて行ってもらって、満足そうな笑顔を浮かべていた。手には子どもへ配られるおもちゃを持っており、それぞれヘリコプターと飛行機をブーンと口で言いながら飛ばしている。それは車の中でも変わらず、楽しそうにおもちゃを時々交換しながら。二人とも乗り物が好きだ。特に好きなのは緊急車両だが、空を飛ぶ乗り物もほしがる。喧嘩も多いが、こうやって兄弟一緒に遊んでいる姿を見ていると『男兄弟もいいな』と感じていた。だがやはり、女の子に対する憧れがあった。漠然としていてハッキリ理由を言うことはできなかったが、それは自分が男だからかもしれないと、隼人は思っていた。

「ねぇママ! おとうとなの? いもうとなの?」
「さぁ、どっちでしょう?」
「おんなのこ!」
「おとこのこでしょ!」
「ぼくの車コレクション、うまれたらかしてあげるんだ!」
「きーくんはつみきかしたーげる!」
「二人とも優しいな。良いお兄ちゃんになれるよ」
「パパどっちかしってる?」
「知ってるよ? 今日わかったんだ。弟なのか、妹なのか」
「はやく! はやく!」
「じゃあ、ママに発表してもらおう?」
「ママ! ママ!!」
「はぁい。あのね、女の子だったよ。だから、妹になるからね? 仲良くしてね?」
「いもうとだって! いもうと!」
「おんなのこ!」
「いいおにいちゃんになろうね、きーくん」
「きーくんもうおにいちゃんだもん!」

 あと四か月も経てば、子どもが三人に増え五人家族になる。隼人は楽しみで仕方がなかった。

「……というわけで、女の子だったよ」
「へぇ、ついに女の子産まれるんだ。隼人、楽しみで仕方ないでしょ?」
「まぁなぁ。上が二人とも男の子だから、こう、漠然と憧れみたいなものもあって」
「『パパ大好き!』って言われたら、なんでも買っちゃいそうだよね」
「……言うなよ。俺も自分でありそうだなって思ってるんだから」
「楓にはもう言った?」
「あー、わかったのが先週の土曜日で、今日言おうと思ってたんだよね。だから、まだ衣玖にしか言ってないよ」
「珍しく楓休みだもんなぁ。メンテナンスかもね。俺が最初って、なんか光栄」
「早く誰かに言いたかったよ」

 いつものオフィスでのランチ。少しだけお弁当の具材の値が上がっていることは、パッと見ではわからないだろう。
 隼人はリコに大金がバレないよう『最近少額で株を始めた』と伝えていた。具体的な額は伝えなかったが、お小遣いそして独身時代の貯金の範囲でなら、と、特に質問も咎められもしなかった。マイナスにならないようにと気を遣っているフリをして、週に数万ずつ売買の差額として家計に入れることにした。そうすることで、収入が増えていることをアピールしたのだ。『たまたま低額で購入した株が大当たりした』『思い切って暴落する前とに売ったら、本当に暴落したからタイミングが良かった』『少しだけ残して追加の元手にしたら、それがまた当たった』と、いくらでも言い訳は思いついた。初めは五千円程度、そこから万札へとシフトして、枚数が増えていった。そこへ減らない残業代。どちらも元手は同じお金だが、入る場所を変えることで収入が増えてもそこまで違和感がないようにしているつもりだった。

 この残業代が、なくなることはないだろう。

「そういえば、最近前よりもずっと賭博流行ってるんだよね? ……あんまり大きな声では言えないけど。違法だし」
「えっ、あっ、そうなの?」

 思わぬ衣玖の言葉に、隼人は上ずった声で答える。

「うん。……親戚が、それで結構稼いだみたいでね。毛嫌いする人もいるから大きな声では言えないんだけど……。大きな家建ててる途中で、子どもたちみんな私立の学校に行って、それから毎年、大きなお休みは海外旅行とかクルーズ旅行に行ってるんだよ。……凄いよね?」
「と、とんでもないな……」
「僕は度胸もないし、怖さが勝るからできないけど、すごいなって」
「意外とやってみたら勝ったりして?」
「んー、それはあるかもしれないけどね。その親戚、今はそんな感じだけど、二年くらい前だったかな、前までは負けっぱなしで借金返すために自分の身体売ったってヒソヒソされてたんだよ。本当かどうかはわからないけど」

 思わず隼人は、目をパチクリとさせた。


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